穂村弘さんの講演会に参加してきました
テーマは『言葉が与えてくれるもの』
と言っても、言葉が持つ力とか使い方とか
文芸論みたいなことが聴きたいというわけではなく、
穂村さんの視点のヒントが欲しいわけです
しかし芸術家気質は学んだからといって
容易に身に付くものではないのでしょう
理解しきれるんだろうかと不安な気持ちで扉を開きました
「昔は意味不明なものに居場所があった」
要は今の傾向として、経済に還元できないものは
無意味とみなされるきらいがあるということです。
ハンドルにはあそびがある
文章には余白がある
いつもどこかに無駄がある
その部分を目を凝らして見てみる
その先に見えていない世界が見えてくるのかもしれません
私は気が付くといつも必死に効率を考えているので、
その網の目の外に視線を投げかけていなかったことを
改めて実感しました
見ているようで見ていない
見ていないから見えていない
金子みすゞの言葉を借りるならば、
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
といったところでしょうか
だから穂村さんの発想の一端もつかめずにいたのでしょう
これからは少しずつ、少しずつ、無駄を、余白を、あそびを、
楽しんでいきたいものです
穂村さんの言葉は何気ない言葉のようで、
穂村さんが見ている世界より取り入れられたストックから
無意識にしろ、選び抜いた言葉なのでしょう
そしてタイトルの一言
これは質問コーナーで20代くらいの女性が、
あと18年くらい生きられたらいいですと発言された後に
穂村さんが返した一言でした
私にとっては、どんな甘い言葉よりもグッときました◎