経済政策を評価するためのGDP | 秋山のブログ

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昨今の経済政策を検討するにあたって、注意しなくてはいけないことがたくさんある。肝心なことで間違った理解が蔓延しているからだ。

その最たるものがGDPで、GDPの単純な上がり下がりだけで経済の状況を判断できるかのように考えている人間は少なくない。GDPを上げることが出来れば、それで政策が成功だと考える政治家もいる。実に軽率だ。

その国でおこなわれている生産が増えれば、すなわち国内における消費が増えることになる。消費が増えることは、厚生が増えることでもあるので、GDPは国民の豊かさを示す指標と言いえるだろう。しかしながらここまでの理解では間違った政策を頻発させる危険がある。常に留意しなくてはいけないポイントがいくつかあるのだ。

まず一つ目は、三面等価が成り立つ、生産と消費が一致するのは、閉じた系においてであるということだ。国民がより多く生産して輸出すれば、GDPは増大する。しかし国民が消費を増やせているかどうかは別の話だ。輸出で得たお金はいつかは使われるなどという主張は、全くナンセンスである。輸出を増やすために、輸出企業を金銭的に応援し、その分国民から消費税などで徴収したりすることは、国内の消費を減らすことであり、愚の骨頂だ。

二つ目は、例えば家事労働など、お金が介在しない生産、消費が計上さらないことである。これに注意していないと、家事労働などは実際は労働であり厚生の増大に貢献していたのに、主婦を無理に働きに出させてGDPを見かけ上上げようとするといった間違った政策をおこなう危険がある。実際、アベノミクスで提唱されている女性の活用というのは、男女平等の推進などという話はこじつけで、まさにこれだろう。これは全く馬鹿げた話で、少子化をより悪化させるだろうし、国民の厚生をむしろ低下させると考えられる証拠は多数ある。前述のように経常収支黒字拡大のために駆り出すならば、国民の厚生は確実に低下するだろう。(企業は労働者を増やすことによって、賃金を下げることを狙っているので、女性や老人の雇用を推進するよう政府に働きかける)

物価の上昇は考慮されるが、国民の収入や公共料金の変化による可処分所得の変化は見過ごされている。ここも留意点となるだろう。物価が上がらない、もしくは下がっても、可処分所得が下がっていれば、消費可能なモノの量は下がっている。厚生は減少しているのである。小泉内閣時の結果を持ち上げる人をたまに見かけるが、この点に着意すれば、間違いを見抜けるだろう。

そして最大のポイントは、GDPが上昇しない理由として供給側に問題があると考えてしまってはいけないということだろう。供給力が増大しても、その分が搾取されれば需要は生まれないために、生産は増大しない。そもそもGDPギャップ(著しく過小評価されていて、実際にはもっとずっと大きい)が存在している状況で、供給力を増大させる話、移民を入れろとか、女性や老人を活用とかの話が出てくることが、いかに馬鹿げているかすぐに気付かなくてはいけないだろう。僅かな率の生産人口の減少で、この大きな(過小評価されているGDPギャップでも十分大きい)GDPギャップが埋められた、もしくは近い将来埋められると考えるのも間違っている。物事は、構造をきちんと理解した上で、定量的に考えなくてはいけない。