財政再建に関して | 秋山のブログ

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「新・日本経済入門」ではわざわざ財政再建に関して取り上げている。既に再三取り上げているように、財政再建が必要であるという考えは、利益を上げることが目的でなく経済を調整することがその役目である国家の会計と、家計や企業のそれを混同している完全な誤りである。しかしこの誤った考えを、それなりに優秀であるはずの財務官僚が持っていて、省の方針の中心に据えている。そして財務省の御用学者が、それを正当化するための詭弁を盛んに喧伝している。
さて、この章に書いてあることは、まさにその喧伝されている詭弁そのものである。何故そのまま鵜呑みにして記載しているか疑問にも思うが、検討してみよう。

財政赤字が恒常的に大きいことによる問題を3つあげている。
一つ目は、『財政が赤字ということは、家計などの貯蓄を食っているということ』になるので、『企業が投資する際の原資』が失われ、経済成長力を低下させる可能性があるというものである。しかしこれは完全に誤りだ。赤字が貯蓄を食っているのではなく、赤字があるから貯蓄があるのである。信用創造は、融資によっておこなわれるものであり、需要の増加によって投資すべき状況が整えば、投資は原資を気にすることなく常に可能である。また、財政赤字があるから家計の貯蓄があることを考えれば、むしろ財政が赤字であればあるほど、企業投資の原資に余裕があることになる。
二つ目は、『将来世代の負担を増大させる』ということであるが、これも馬鹿げた理由である。企業や家計にあるような破綻となる基準があるわけでなく、いくらでも借り換えができることもあり、精算しなければいけない状況など日本国にはありえない。将来世代が増税を強いられる必要もない。精算する必要が生じることを主張する人間がいたのであれば、それがいつか尋ねてみればよい。精算しなくてはいけない根拠がないことが明らかになるであろう。
3つ目は、『国際金融市場で日本の国債の信用が維持できなくなる可能性がある』からということである。これも全く意味のない主張である。日本の国債は世界に開放されており、日本国内の経済主体以外のものも買うことができるが、国外の何者かに買ってもらう必要もなければ、開放しているメリットも(さもメリットが大きいように喧伝されているが)ほとんどない。実際、実物の国債は、ほとんど国内で買い取られ、その残りが市場に(実体経済と関係のないゲームのチップとして)出回っているに過ぎない。ほとんどを所有する邦銀にとって、国債の価格が下がることは問題であり、また現物を買い足す能力もあるところで、現物の価格は下がりようがない(特別な事情があっても日銀も控えている)。国際金融市場がどう考えようが、関係ないのである。さらに昨今では、日銀が強いて国債のほとんどを吸い上げてしまっている。ますます関係なくなっているという話である。
このように財政赤字に問題はない(どこが『本当のおそろしさ』だというのだろう)。問題がおこりうるのは、自国で通貨を発行できない状況にある国で、且つ政府が赤字を出して供給した貨幣が外国に大きく吸い上げられている国であり、日本はそれには全くあたらないし、両方が揃うことはありえないだろう。(『高齢化の進展で国民の貯蓄率が低下』してきているので、経常収支が悪化するなどと書いているが、貯蓄率は国や企業の借金の量に依存するため高齢化は全く関係がない。全体をみていないことを白状しているようなものだろう)

財政再建などする必要もないが、財政再建を妨げるものとして社会保障費の増大があげられているので、取り上げてみよう。「新・日本経済入門」では、今後しばらく高齢者が増えることと、人口が減少し労働世代が減少することが書かれている。その予想に幅を持たせて考察しているが、幅を持たせるまでもなく、このこと自体に関しては疑う余地はないだろう。であれば、財政再建は困難であるとか、国民に何らかの我慢が必要であるということになるかといえば、そんなことは全くないのである。
まず日本社会には、社会保障を供給する能力が十分ある。買ってくれる国があればどんどん生産して輸出もできるし、外国人観光客もどんどん受け入れて食事や娯楽を提供することもできる。増えた老人の面倒を見られないわけはないのである。社会保障関連の業界で人が足りないのは、賃金が低すぎて育成されないからに他ならないだろう。
もちろん社会保障には費用が必要である。増えた費用はどこからか捻出しなくてはならない。当然、勤労者が払う必要があるが、勤労者は同時にモノやサービスを供給して代価を受け取っている。増えた供給に対して、相応の対価を受け取っているのならば、当然増えた費用は捻出できるはずなのである。それができないのは適正な分配がなされていないからだ。高度成長期の日本であれば、大きな分配を得ている層から多く取るという形をとっていたし、分配自体も組合の力のお陰でそれほど悪くないものであった。しかし、それは改悪され、消費税で平等に取るのがよいなどという馬鹿げた主張すらなされている始末である。

消費税を推進すべき理由が書かれているが、これはまさに滅茶苦茶だ。所得税から消費税に移行すべき理由として、『就業者が減少し、高齢者が増加する高齢化社会では今後も減少してゆく可能性が高い』からなどと言っているが、同じ供給を少人数でおこなえば、一人あたりの賃金はその分だけ上がってしかるべきなのである。就業者の減少は所得税が減少する理由には全くならない。人口の増減とは関係がないのである。高度成長期には人口が増加していったから所得税中心の税制が成り立ったなどとも書いているが、全くナンセンスだ。また、法人税に関しても、『激しい国際競争を考えると、法人税は引き下げざるをえない』などと馬鹿げたことを言っている。法人税は、経費や賃金を払った後にかかるものであるから(外形標準課税という最悪のシステムは別として)、何%であろうが競争とは関係がない。
累進性の軽減という形で所得税を減税したり、法人税を減税したりすると同時に、消費税を導入したり、上げたりする愚行が過去におこなわれてきたのだが、これらの主張はその大失敗に対する言い訳だと思われる。明らかに経済に対してよい効果はなかったにも関わらず、反省されることもなく、このような詭弁のもと、その方針が踏襲されるのは、全く愚かしい。途上国においては実証のある法人税のパラドックスに騙されたことも軽率(何故そうなるのか解明できていない実証は危うい)であると言えるが、導入して改善しなかったものが、破棄した時に被害があるという話は嘘だと疑ってかかるべきだろう。