生産関数と成長理論と資本の蓄積 | 秋山のブログ

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生産における要素にも、成長における要素にも資本という言葉が出てくる。ところがこの資本という言葉は、定義が曖昧で、時と場所によって違った意味で使われている。特にひどいのが生産関数で、生産過程においての資本は生産された生産手段のことであって、貨幣等金融資本ではないはずであるのに完全に混同されている。

確かに、事業にはお金が必要であるから、混同するのもある程度理解はできるが、事業に必要なお金は、事業を開始するための触媒もしくは潤滑油のようなもので、要素では本来ないのだ。蓄積には全く関係はない。足りなければブレーキにはなるが、それに比例して生産が増えるわけではない。

成長理論における資本の蓄積も金融資本のことになっている。しかし生産の増大ということであれば、これは同様におかしい。生産関数の誤りをそのまま踏襲しているということなのだと思う。

ソローの成長モデルは、誤りを踏襲しながらも、労働、資本以外の部分の貢献が大きいことを実証した。それが何かといえば、技術の進歩である。

であれば、生産を増大させるために重要なのは、金融資本の増大でも、設備の追加でもなく、技術の進歩ということになろう。設備は、進歩した技術(知識やもろもろのもの)に従属するものであることを考えれば、資本の蓄積は技術の蓄積に置き換えた方がよいと思われる。(同じような資本の意義の例を出せば、海外直接投資が相手国を豊かにするのは、技術の移転であるからである)

経済活動の規模が拡大していくことが、経済成長です。単純に考えるのであれば、社会全体としてより多く消費することができるのですから、政策を考える上でこれは一つの目標となります。(もちろん、それだけでなく格差によって貧困が生じるのを防ぐことも重要な目標です)

経済活動を拡大させる方策として、まず重要なのは、需要です。需要飽和や、有効需要不足(消費者の収入が少ないことによっておこる不足)によって需要が足りない状況であれば、どれだけ生産しても意味がありません。

需要が十分に確保できる場合、必要なことは生産を拡大させることになります。
生産量を増やすための一つの方法が労働力を増やすことです。労働力の総量に大凡比例して生産量は増加します。
また、一人あたりの生産量を増やすことによっても、全体の生産量を増やすことが出来ます。この時、一人あたりの生産量を増やすのは、道具や設備、新たな知識や技術、熟練度などです。そして新たな設備は新たな知識等によって実現可能となり作られたものです。従って、経済が成長するために蓄積されていくものは、知識や技術であると言っても過言ではないでしょう。

ここで注意しなくてはいけないのは、金融資本の蓄積は、生産性の向上に関して、意味がないということです。新しい設備を作る必要性が明らかであれば、信用創造をおこなう銀行から融資をうければいいだけの話であって、金融資本が出てくる必要は全くありません。成長を促すために、日本への投資を呼びかけるのは、日本に足りない技術を導入する必要がある場合以外は、全く馬鹿げた行為でしょう。