ルーカス批判 | 秋山のブログ

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ロバートルーカスなる人物がいる。業績は、合理的期待形成仮説とルーカス批判、貨幣の中立性である。この貨幣の中立性に関するルーカスのもっともらしい論文のカラクリに関しては、以前も書いて批判した。

今回はルーカス批判と合理的期待形成である。
ルーカス批判に関してはブックマーク先の記事が分り易い。
重要なポイントは、『現在の政策変更は将来の政策に関する人々の期待に影響を与える結果、人々の行動も変える可能性がある』ということで、その当時の主流のケインズ派が、人間の心理を無視した数式をたてて考察をおこなっていたことに対する批判だ。ケインズも全てにおいて正しかったわけではなく、いろいろ問題はあった。これはその問題の一つであり、この批判自体は全く正しい。
で、何が問題かといえば、そのかわりに導入した所謂ミクロ的基礎に問題があるのだ。人間の心理を無視していた代わりに、平均としてありえない人間を想定したところで上手くいくわけもなかろう。曖昧は曖昧のままで導入して、例えば心理学上の知見などでそれをより正確なものにする努力をするというのが正しい方向だ。別のブックマークではドーマンがそのことについて書いたものを紹介している。

言葉の整理で紹介したコバヤシユウスケ氏も素朴に誤りに気付いているのだが、ルーカスがノーベル賞を取ったことや、多くの経済学者が指示したこと、また、そもそも氏はマンキュー先生の教科書をもとに経済学を勉強しているということで、結局騙されてしまった。正しい部分と間違った部分を引用しよう。
『将来に対しても合理的で正確な予測をするという、まあ常識的に考えたらありえんだろう!!!といいたくなるような、ウルトラスーパーな人間を仮定すること で、新古典派の均衡論に時間軸を加えたのが、合理的期待仮説です。こんな非現実的な仮定に基づいた経済モデル、僕ら経済学の外にいる人間から見れば、一笑 に付されて葬り去られてもおかしくなさそうに思えますが、』
これは既に書いてきたようにその通り。一笑レベルであり、葬り去られるのが当然である。
『ある意味フィクションをうち立ててみてもいいのではないか?と考える人が出てきても不思議無いわけです。現実とはちょっとずれるけれども、まあ極端という か理論の純粋化というか、そういうモデルを考えることで、逆に一見不合理に見える現実の複雑な世界の本質が見えてくるかもしれない、ということなのかもし れません。』
これは全く価値のない方法であり、こんなことをして現実が見えてくることは決してない。その多くの(間違いを犯した)経済学者が間違いでないための、こじつけの理由のようにも見える。