代表的個人 | 秋山のブログ

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新しい古典派が始めた、マクロ経済のモデルである。簡単に言えば、たった一人の消費者を仮定してマクロ経済を考えるというやり方である。

wikiの内容が、なかなか面白い。現代経済学の勘違いをよく表しているからだ。

代表的個人モデルの批判として、『単純化し過ぎており現実的ではない』というものをとりあげている。私も批判としては浅い批判だと思う。よく出てくる合理的な人間とか、一般消費者をそのまま当てはめてしまっていたりとかは、確かにおかしいが、単純化したモデルの限度をわきまえた分析であれば、ある程度の有用性はあるだろう。問題は、前述の合理的な人間とか、一般消費者とかで考えることが、そのままマクロで成り立つと突っ走ってしまっていることだ。

物理の質点というものを例に出して、仮定が非現実的であるだけで批判するのはおかしいと述べているが、質点は力学の強固な(実証も再現性も完全)法則に則り分り易いように置き換えたものである。代表的人格の、根拠が希薄な置き換えとは全く違うのである。言うなれば、単純化のし過ぎが悪いわけではなく、現実の裏付けのない置き換えがいけないのだ。

経済学の扱っているものは複雑なものであり、物理学のような強固な法則は作りえない。多数の要素が関与し、かつそれぞれが独立していない上に、正確にモデルを考えるなら、心理等の不確実な要素も大きく考慮しなければいけないだろう。どのような高度な数学を駆使しようが、当然、そのような曖昧なモデルから導き出せるのは曖昧な結果である。それでは満足できないので、曖昧な部分を排除したモデルを考えたくなる気持ちは分るが、それは決して正解にたどり着くことのない無意味な行為である。

このブログをかき始めた最初の頃に紹介した議論にもよくあらわれている。私の経済学の知識もその頃に比べると全然違う。今読めばもっとよくその誤りを指摘できる。
読み直してみれば、経済学の徒であるアオトピ氏は、経済学を物理とほとんど同等のものとして理解しているのが分る。
『> AはBを進める方向に作用するというものを、AだからBになるといった印象を受ける文章

これは経済に限らず、世の法則と言えるものは全て前者の意味で後者のような表現をしているのではないですか?物理その他含め。』
『塩を取ると高血圧になる(AだからBになるの意)、に当たるような経済学の法則なんてありますかね?寡聞にして知りませんが。』
『理論ベースの法則や仮説で仮定(前提や条件)が蔑ろにされることは経済学ではあり得ませんし、実際にそのようなモデルは存在しない。そして経験則 は経験則として正しく認識されている。物理とまったく異なりません。』
インフレと失業率でもいいし、物価とマネーサプライでもいいが、経済学で出てくる何かと何かの関係は、多要素、多相関、重大な曖昧な要素の内包という、塩と高血圧の関係に近いものだ(むしろもっと曖昧な要素が大きい)。物理での色々な法則、ボイルシャルルでもいいし、力の合成でもいいし、万有引力でもいいが、それらとは全く違う。物理の法則は、極めて直接的、独立的、厳密なものだ。にも関わらず、大胆にそれだけの関係しかないように仮定し、数式化し、数式化することによって、その仮定が正しいことが一人歩きするといったことが多々おこっている。同じように複雑な事象を扱う医学の方法論からすると、どうかしているとしか言い得ない幼稚さである。
スティグリッツ教授及びその周辺が、実証研究によって、かなり信じられている理論まで、誤りであることを証明している。経済学は不確実な内容を扱う学問であるという自覚を強く持って、理論を再構築すべきだと思う。

そらから、ブックマークにも同じような問題を指摘する内容の記事があった。ここで紹介されている竹内教授はこれを30年前に書いたそうだ。日本の経済学者にこの人ありという感じだ。