ステグリッツ教授はかく語りき(インセンティブ) | 秋山のブログ

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P136
『「労働と貯蓄と投資のインセンティブを人々に与えるためには、いまの高水準の不平等が必要不可欠である」という別の正当化の主張は、しばしば現状維持派によって唱えられる。』

世の中でインセンティブは不平等を肯定する根拠としてしばしば使われている。例えばプロスポーツのスター選手の驚くべき待遇は、それを目指す多くの選手の努力を促す作用があること自体は否定しがたいと思われる。ただ、不平等推奨派の理屈はちょっとひどい。

P172
『インセンティブに重きを置く反論をする人々も存在している。彼らは次のように主張する。経済を機能させるためにインセンティブは必須であり、インセンティブ制度のもとでは”結果の不平等”を避けることはできない。重要なのは、一生涯の不平等であり、それよりもっと重要なのは、機会の均等だ。また、不平等と効率性にはトレードオフが成立する。平等のためにどれだけ効率を犠牲にできるかは、人によってちがってくるが、アメリカの平等性を少しでも高めようとすれば、あまりにも大きな代償を支払わなければならなくなる。』

不平等と効率性はトレードオフではない。機会が均等で、貢献と報酬が合致するならそれは不平等ではなくて平等だ。反対者がもとめているものが、完全な結果の平等であるとの摩り替えであるという教授の指摘は鋭い。

そして教授は多くの実証にもとづき様々な反論をしている。

一時期の不平等はそのまま一生涯の不平等とパラレルである。
機会が均等であるというのは、根拠の希薄な迷信に過ぎない。
貢献の度合いと報酬はパラレルでない。
上記の意見では、市場はほぼ完璧であるという非現実的な前提があるが、当然それも誤りである。
人々が、報酬に最大の重きを置いて仕事をしているわけではない。
不平等を高めて効率性を上げようとした試みは、無残な結果に終わっている。
等々。

最初に書いたプロ野球の例は、宝くじに似ている。合理的に考えれば宝くじは損なしろもの(娯楽の範疇で考えれば悪いものではない)であるが、多くの人が喜んで購入する。プロ野球のやり方は、総費用をおさえて効率を引き出すうまい方法かもしれない。
しかしここで注意すべきことがある。宝くじはその購入で生活が苦しくなるようではいけないということだ。あくまでも余剰で楽しむべきものである。宝くじがあたった選手以外の犠牲のもとではいけないだろう。米国でおこなわれているような、役員のボーナスのために労働者を解雇するようなやり方に正当性はない。