自立を求めて、突き放してしまっていないかい? | 父親改革〜真の大黒柱へ〜

父親改革〜真の大黒柱へ〜

離婚して、同じ人と再婚する機会を得て、「次こそは!」と意気込むも、失敗の日々。
試行錯誤&検証の連続。
父親だって、家族を作れる。
自分の理想とする家族を作るのは、いつだって自分。
そんな理想とする家族の形を新たに構築していった実践を綴るブログです。


「料理してみたい」と初めて言ってくれて、一緒に作ったトンテキ





やれることは自分でやる



学校に通うようになると甘えることがどことなく許されなくなるような印象



集団生活で求められること。

みんなやっている

できるでしょ。

やればできる。

集団生活に適した行動を。




きっちりと。

しっかりと。

ちゃんと。


この曖昧すぎる

定義が不明確な

その人の考え方、許容範囲に左右される


このよく口からこぼれる言葉たち。



その人基準で求められる。


世間で求められているであろうと考えるその人の基準。




確かにそうなのかもしれないけれど、

その中に絶対はないよね。



絶対こうしなければならない。



そんな中で生きていくと、

生きにくさが生まれる。



そこで家庭でのフォローなどがあればいいけれど、

家庭でも同じような基準を求め、求められてしまう。



息苦しいよね。

緊張しちゃうよね。


息抜く場所がないと、生き抜けないよね。


ダジャレじゃないよ。

同じ音だよ。



息が詰まるは

生き詰まる。



学校で頑張っているのだから、

家庭では頑張った分の息抜きが出来てもいい。




待ちに待った夏休み。


特に一年生は、

新しい環境で頑張ってやりきったと思う。



夏休みはたくさん遊んで、遊んで、遊んで。


たくさん寝て、


溜まりに溜まった息苦しさ、緊張をとってあげたらいい。



ゴロゴロダラダラも必要だ。



お出掛けや旅行よりも、案外それが一番求めていることだったりするかもしれない。



一番安心できるお家という場所で、のんびりゆったりと過ごすことは、一番の息抜きになったりする。



息が抜けたら、そのうち家にいることに飽きるさ。




遊びたくなるまで待つゆとりが、こちらには求められているかもしれない。




どうして大人は子どもたちのダラダラを許せないのだろうね。



色々と心配になるのだろうね。



学校行きたがらなくなるのでは。

宿題が終わらずに困る。

暑くて、ついイライラしちゃう。

自分は疲れているのに。

自分は仕事や家事をやっているのに。



一緒にのんびりするのはどうだろう?


一緒にダラダラするのはどうだろう?


一緒に思いっきり遊んじゃうのはどうだろう?


思い切って仕事や家事を休んでみるのはどうだろう?




子どもたちも疲れているけれど、


大人も随分と疲れていますよ。



大人がやりたいことやれるくらいのゆとりを持てると、


子どもって勝手にやれることやって、やろうと思っていることをやり始めるという印象です。




大人の在り方ってとても大事だと思うんです。




そうしたらさ、


ちゃんと

きっちり

しっかり


の中に幅が出てきたりするのです。


まっ、いっか。

これはこれでいっか。


ってね。



でね、

そうなったら、


子どもたちの息のしやすさも変わってきます。


幅の分だけ、息ができる。



考え方の幅も変わってくるのです。



子どもたちはまだまだ学びの途中。


グンって伸びたりします。


というか、それが本来のその子だったりもするんだけどね。



自立を求めることが、かえって自立を阻んでいることは往々にしてあります。



自分で考えなくなるでしょ。


あーだこーだ。

あーしなさい、こーしなさい。


なんで言うもんだから。


良かれと思っても、怒られてしまったりするしね。




まぁ、大人が休みましょうや。笑


それか、のーんびり体を動かして、


のんびりすることを思い出しましょ!



内緒だけど、


「子どもが夏休みなので」ってけっこういい理由になると思いますよ。笑


「児童館行きたがらなくてー」とかね。笑笑


嘘をつく必要はないけれど、


事実をうまいこと使っていきましょ。



のんびりと体を動かしたい方はコチラはいかがでしょうか?


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