優しい伯母さんの病気見舞いに行った思い出
つづき

時々水が上がって来ない時は家の中から柄杓に水を汲んで来てポンプの
シリンダーに迎え水をするとゴボゴボと音を立てながら水が上がってきた。
井戸水の排水は排水口の所に大きな穴を掘り、穴の中に石や砂利を入れた
吸い込み式で水は地中に染み込んでいった。
 その隣に大きな「ぐみ」の木があり、太い幹に象牙色の薄い樹皮
が何枚も重ねて幹を守っていた。
その薄い樹皮を一枚一枚剥がして遊んだ事を鮮明に覚えている。
ぐみの実は甘くて美味しかった、太陽に照らされて実の中まで光が入り
ぐみは輝いていた。
 家の正面の庭には大きな栗の木があった。
栗の木の下にはイチゴ畑があり、イチゴが実るころ良く食べた記憶がある。
真っ赤なイチゴを食べようと取ると、日の当たらない所は真っ白、
それを口にすると堅くて酢っぱかった。
庭の西側に離れの物置とお風呂場があった。
風呂釜は薪を燃やし沸かすのである、湯船は木製のたまご形で、洗い場は
三〇センチ位の足の付いたスノコがあった。
お風呂場の隣は物置で薪や炭が置いてある。
 玄関を入ると土間でその奥にお勝手が有り手前右側に大きな水がめが有り、
井戸からバケツで運んで何時も一杯入っていた。
井戸のポンプが水を吸い上げ無くなった時ここから柄杓で汲んで運び、
迎え水に使ったのである。
水がめの隣は流しでその隣がかまど、そのかまどで炊いたご飯のおこげの
おにぎりが忘れられない。
伯母さんが塩を付けて握ってくれたあの味を今でもはっきり覚えている。
 私は故郷の山を見ながら何故病院でもっと伯母さんに声を掛なかったのかと、
後悔している。
でもあの伯母さんの手を握りしめた時絶句し見舞いの言葉すら出なかった。
数日後ベツトから落ちて骨折したと便りがあった。
                             おわり