@絕代芳流のブログ -4ページ目

@絕代芳流のブログ

ブログの説明を入力します。

ある有名なSNH48ファンのブロガーの方の、GNZ48 チームNlll ≪第一人称≫公演についての記事から引用する^ ^度度済みませんm(_ _)mこの方のブログはとにかく面白過ぎるのだ。
 
---------(引用はじめ)----------
これだけクオリティの高いアイドルポップを聴けて幸せだ。
 
はっきり言って、香港、台湾、マレーシア中華圏を除く、中国大陸部のポップスの作曲・編曲のレベルは、21世紀の今にいたっても聞くに堪えないものばかりだ。
 
某TFBOYSの楽曲なんて、作曲からして聴けたものではないが、中国大陸ではそういう低レベルな洗脳曲の方がヒットする。聴衆の耳のレベルも低いので、洗脳曲ばかりヒットするのは仕方がない。
 
そういった音楽環境の中で、SNH48グループの公演曲は、たぶん品質が高すぎる。一般人の耳のレベルを遥かに超えている。
 
きめ細かい編曲がいかに曲の最終的な完成度に貢献しているか、自分で音楽制作をやったことがない中国の若者には、おそらく感じることも、理解することもできないだろう。
 
J-POPの精緻な編曲は、黒人音楽が基礎になっている欧米のポップスとは全く違うので。
 
日本でSNH48グループのオリジナル公演曲を聴いて、一人で感動に打ち震えている筆者って、何なんでしょうね(笑)。
 
-----------(引用おわり。SNH48分室 Unofficial さんのブログ 2017/04/11 広州GNZ48初の全曲オリジナル公演チームNIII『第一人称』に好き勝手コメントしてみる(3)より)----------
 
あたしも≪第一人称≫公演は大好きだ。居ても立ってもいられず、近々広州に見に行き、ついに中泰デビューをする積りです(低調にね(^^;)。
 
しかし上記の中華圏ポップスに対する意見は暴論だ。中国人はレベルが低いので分からないだろう、というのはひどい。
 
日本は確かに技術的には進んでいるかも知れないが、それは幹や根ではない、枝葉末節の話だ。そりゃ枝葉は大切だよ。だけど全てではない。
 
日本文化一般の特徴として、細部に凝りどんどん精緻になり洗練されるが、野太い生命力を失い進化の袋小路に陥りがちだ。
 
このブロガーさんがお好きだと他の記事で書かれていた、後期ロマン派(ウィーン楽派とかかな?)の音楽が正にそうで、技術的に優れ美しいものの、頽廃し衰微して行き、次世紀の大衆社会の到来と共に生命力にあふれた黒人音楽が出現し世界の主流音楽になったわけだ。(大雑把過ぎるか^^)
 
J-Popと言い、K-Popと言うが、実は全部黒人音楽だ。欧米のPopsとは「全く違」わない。違うのはトリビアルな所だけだ。1980年代に世界の音楽は全部黒人音楽(レゲエも含む)の様になり、歌手は全員黒人の様に歌い、ダンスは全員黒人のように踊るようになったのだ。黒さは薄まったけど。あたしは件のブロガーさんの様に音楽の専門的なことは知らないけど、この耳で聞き目撃した。
 
例えば《第一人称》や《パンドラのオルゴール》や《自以為》の様な音楽を作り始めたのはアース・ウィンドアンドファイヤーという黒人グループだ。それまであの様な音楽は無かった。今ではああいう曲を黒人ぽいとは誰も思わない、普通のポップスでしょう?だから違わないのだ。日本の作曲や編曲はより高度に細心に作ってあるかも知れない。それは日本とその他のアジア圏では歴史の蓄積が違うからだ。日本は第二次大戦前からジャズやブルースを本格的に受容しているが、アジアはもっと後からだからだ。それだけの違いだ。
 
彼が手抜きだと酷評したBEJ48の《元気覚醒》がライブであれだけ盛り上がるのは、Saxのソロが下手だ(!)として全く評価しなかった《Don't Touch》が全Gr.の鉄板曲になったのは、よりシンプルな形の黒人音楽が、彼の好みの精緻に作った「アイドルポップ」と同様、大きなパワーを持つ場合も有る事を説明している。「低レベルな洗脳曲」なのではない。あれらの曲を歓迎した現地ファンの耳は低レベルではなく、より音楽それ自体を聴いている。飾りやオカズをじゃなくてだ。
 
芳華絶代
 
P.S. ブロガー氏はGNZ48の楽曲の方が勝ってるなどとおっしゃるが、GNZ48の《回家》なんて、ミシシッピ川のほとりで作ったとしか思えない真っ黒なダウンホーム・ゴスペル!あたしにとってはこの上なく格好良いんだが、彼にとってはどうなんだろう?