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「真理探究中です。」

嗜好品のようなブログを目指します

今日は七夕と思えないくらいに寒い1日でした。

もう7月なのですね。

未だに夏を感じれない毎日です。

 

異動先は目まぐるしいほどに繁忙期で、警報が出ている地域にわざわざ飛び込んでいく感覚です。

異動先の先輩の名言です。

 

「やまない雨はないってあるじゃん?あれって嘘だぜ。やまない雨もあるんだぜ(涙)」。

「え?じゃあどうすれば雨をしのげるんですか?」

「それは雨が降らない地域に移住するしかないだろ。」

「・・・・。」

 

そんな愉快な職場ですが、合言葉は「小さな感動を見つけていこう。」です。

小さな感動の話で、先輩の小さな感動は、子供のおもちゃであるトミカを買った時だったそうです。

男の子で生まれたら、誰しもトミカで遊んだことはあるのではないでしょうか?

あれ、大人になるとこう見えるらしいです。

 

「トミカってすげえ内部まで精巧に作られているのか!」

 

ここに先輩は小さな感動を見出したそうです。

 

私も子供の時は、よくトミカ、プラレール、レゴで遊びました。

それで大きな街を作り出したものです。

 

でも子供の物語って残酷です。

 

私の作った街に、ゴジラが登場するわけです!

先週、映画を久しぶりに観にいきました。

「ゴジラ」のあのテーマソングを聞くだけで、鳥肌ですよね。

戦闘機とゴジラがギドラに向かうシーンはカッコ良かったです!

男心をくすぐります。

 

話が逸れましたが、ゴジラ(寅次郎少年が操作する)は、街をどんどんと破壊するわけです。

逃げ惑う人々(レゴの人)は踏み潰され、トミカやプラレールの上の電車は投げ飛ばされるわけです。

今思うと、自ら作った街を、自らの手で破壊する。

この子供の時の「破壊と創造」の快感って何でしょうね。

この経験は人格形成にどんな影響を与えているのか、気になります(笑)

 

もう一つ、寅次郎少年の脚本は、破壊するゴジラを止めるウルトラマンを登場させます。

子供の時には心おどる夢の共演です。

正義の味方でおなじみのウルトラマン。

 

寅次郎少年の脚本では、残念ながらウルトラマンは惨敗します。

やはり怪獣王ゴジラの快進撃は正義の力では止めることはできません。

しかもウルトラマンを使って、守るはずの街はもっと破壊されます。

 

「正義の味方は負けることもある」

 

これが寅次郎少年の描きたかった物語のメッセージなのかもしれません。

 

子供の時にレゴやトミカ、プラレールで遊んだって話は、案外大人になると封印されていますが、

話してみるといい大人の男たちが盛り上がったテーマでした。

これが私の最近の小さな感動でした(笑)

 

天気が悪い日が続きますが、皆さんも良い夏の日を。

小さな感動をシェアしていきましょう。

 

それではまた。

 

God bless you!

 

 

 

こんばんは。

昨日は久しぶりに大学のゼミ同期と会いました。

 

大学のゼミ時代は、私にとっては重要な思考形成の場でした。

何よりもここまでひねくれた思考を教えてくれたのは、ゼミでした。

 

今でも大学1年生の時に、他学科のゼミなのに、「政治理論」というワードに惹かれた自分が不思議でなりません。

おそらく「理論」という響きに、どこかファッションを感じたのだと思いますが。

 

同期とは本当に議論を毎週のようにゼミの180分、そのあとの居酒屋でも散々やってきて、いわば人生で一番議論をしてきた仲間でもあります。

 

他のゼミとは違って、「どうするか?」を問うより、「そもそもそれは何?」という根本的な問いをする専攻でした。

例えば「どうやって投票率を上げるか?」ではなく、「そもそも投票率は上げることは必要なの?」というところからでした。

他ゼミとの合同演習では、本当に議論が噛み合わないので、あのゼミに入る奴は変り種が多いと言われたものです。

 

でもあのゼミで学んだことは、しっかり社会人になっても役に立っていると思います。

 

やはり世の中にはパワーワードというのがあって、それさえ言えば問うことをやめて、「さあどうやるか」という方法論に傾きがちです。

でもやはりどんなことにも「それはそもそもどうやって効果検証するの?」や「それはなぜするの?」という根本的な問いや批判を加えることで、同じやるにも、よりよい結果をもたらすと思っています。

 

今の時代はやっぱり「考えるよりは行動する」が提唱されています。

それはそれで正しいと思います。

変化の激しい世の中において、行動しないことには何も変わりません。

それはマクロでも、個人レベルの仕事術でも動かないことは何も変わらないのと同じです。

 

しかし、やっぱりそれは一面的なことであり、考えることも重要です。

行動することが先にあってもいいですが、その結果を踏まえた検証を繰り返すことで、より良い行動になるわけですから。

やはり考えることを軽んじてはいけないです。

 

さて久しぶりにあったゼミ同期とは、最近の私のキーワードでもある「使命感・プライド」的な議案を提出しました。

要するに「あのゼミに入っていたことにプライドはあったか?」ということです。

やはり他のゼミからは色物的な扱いを受けていたわけですから気になります。

 

口を揃えて、「もちろん、プライドあったよ」っと答えてくれました。

 

ではどんなプライドかと言われれば、こうでした。

 

「あのゼミは、基本的に根本的な問い、価値観をめぐる意見があった。だから答えは出ないし、対立はする。それでも相手の意見をちゃんと受け入れて、論理的には理解はできる。でもこういう論法も成立はするのではないかな?」という対話の作法があるゼミであったことにプライドを持っている。

 

これを同期が言った時は、本当に素晴らしいなって思いました。

一言で何を学んだか、我々のプライドは何かと言えば、「コミュニケーション能力」だってことです。

 

世間ではコミュニケーション能力のテクニックがはびこっています。

しかしコミュニケーション能力とは、「論理に真摯に向き合って、相手を尊重して話を聞く」という単純に論理と感情に配慮した当たり前のことを誠実にやれば良いということです。

 

これは先輩方の姿を見て我々もこの伝統を守っていかなくてはいけない、そんなプライド、いや当時は必死にやっていただけですが、何かこのゼミの守るべき矜持みたいなものを持って取り組んだので、こういうことを学べたと思っています。

 

昨日のこの議論をして思ったのは、繰り返しになりますが、「使命感・プライド」持ってやっていこうよってことです。

誰しも所属するコミュニティや、生き方には守るべきものがあると思います。

ただそれに真摯にそして誠実に向き合っていく、これこそ人生の学びが広がることであると思います。

 

熱い人間になろうというわけではありません。

私は熱い人間は苦手ですから。

 

淡々としていることにプライド持ってやっている、でいいんです。笑

 

各業界でのゼミ同期のこれからのご活躍を心から祈念するとともに、今回の2年ぶりの議論を契機にまた議論していこうと約束をしたので、また良き議論、ゼミの良き矜持を守って、日々の生活を適当に頑張っていきたいと思います。

 

それでは、また。

 

God bless you.

 

 

先週はやっ君との会談をして、お互いに社会人編第1部の終了と第2部の開幕を確認いたしました。

 

まず第1部としては、「インクルーシブ」というのが一つのキーワードであったと思います。

4年前の教育実習の準備でよく教育論争をしました。

その頃からこのキーワードでよく議論をしたものです。

 

「うつのない社会」の実現には、インクルーシブが必要である。

早い段階から違うものとの交流をすることや、画一的な評価ではなく個別的な評価による個性の発達などが、教育の段階から必要であるというのが彼の持論でした。

 

この3年間で「インクルーシブ」については、一つの手段ではある、というのが結論です。

重要なことは、これだけではないという気づきです。

3年前は「この道しかない」という意識でした。

まさにインクルーシブの伝道師でした。

 

それでもインクルーシブにも限界はあるということ、また本当に自分がやりたいことなのか?という問いにぶつかるわけです。

 

特に後者は大きなことだと思います。

「目的」と「手段」の逆転というのは、怖いくらいによくあることです。

人間は目的意識を失って年月だけに身を任せていると、最初は野良猫でいたずらしていた猫すらも崇拝してしまうっていう寓話がるように、本当に目指していたことを忘れてしまうわけです。

 

日本の社会系ドラマでもありますよね。

組織上層部などに「あんたの原点は何だ?」とか説教するシーン。

 

私のドラマ論の持論は、フィクションとして成立するには現実感はあるが、現実にはそのことが実現されていないことであると思っています。

 

つまり誰しも仕事の原点は熱い想いがあるけれども、長い年月を経て、ただ組織の歯車になってしまうっていうのが現実なわけです。そしてかつ本当の目的のためにできることはカッコいいとも共有されている。でもドラマとは違うのは、その原点に立ち返って戦う主人公も、上層部も現実にはいないからドラマになるわけですね。

 

話が横道に逸れましたが、やっ君の理念は、インクルではなく「うつのない社会」でした。

そういう意味では、インクルが本当にやりたいことなのか?というのは当然の問いでした。

 

またインクルっていうのは、言葉が目指す理念ほどに良いことかというと、無茶もあります。

多様性は大切なことであると思っています。またその違いを認め合うことや、違うことをもって不当な取り扱いをすることは絶対によくないことです。

しかし無理に一緒になる必要はないし、どうして国が違うのか?っ言えばそれはみんな違うからです。

本当に心から理解し合えるって思うなら世界は一つの国になれちゃうはずです。

 

私は多様性とインクルって割と無茶な概念の組み合わせであると思っています。

多様性があることを認めるならば、確かに違うものを尊重し合うことは重要であるけど、一緒になる必要はあるの?っていうことです。インクルが尊重し合う手段なのだと言えばそうなのですが、あくまで手段の一つがパワーワード化していないか?とも思います。

 

あるシンポジウムでこんなこと言っている人がいたそうです。

「今の日本は、ノンインクルーシブ・ダイバシティです。」

要するに、多様性は認めるけど、私たちとは別のところで。

 

これが問題であると思う人もいるでしょう。

でも私は多様性が担保されているならば、それはそれで良いことであるとも思っています。

無理に一つになる必要はないっていうのも一つの考えとしてあっても良いとは思っています。

 

やっ君とは他にもインクルについては議論をしましたが、とにかくインクルだけにこだわることもないってことで、第1部が終了しました。

 

では、次の第2部のキーワードは「人の覚醒」とのことです。

鬱にならないためにはインクルだったわけですが、それだけではない。

この3年間ビジネスの世界にいて、やっぱり強い人は「理念がある」っていうことでした。

 

「俺はこれをするために働いているんだ」という使命感ですね。

 

その使命感に気づくことを「覚醒」とやっ君はよんでいました。

 

今では平社員どころか、社長を支える上層部のやっ君は当然に若手社員など多くの部下を持っていますが、ある人が、仕事上のやりとりの中で「いや、俺がやりたいことはこれっすわ。」という覚醒した瞬間にやっ君はいたそうです。

そのあとの働きぶりや目つきは、強さを感じたそうです。

 

人を覚醒させることが、うつのない社会を作れるかもしれない。

 

それこそが第2部のテーマになりそうです。

 

鹿児島旅行後から、使命感を持った人間はかっこいい!とやや右傾化した我々ですが、その観点からも「使命感を持った人にする」という「人を覚醒させる」ことにやっ君は活路を見出しました。

 

あの鹿児島旅行がここにつながるのか!って感じでした(笑)

 

でも人生は運命的なものもあって自分ではコントロールできないこともたくさんあります。

むしろその運命をより主体的かつ積極的に受け入れて突き進むことも、一つの生き方です。

使命感持った人間のよさに気づいた鹿児島旅行があったからこそ「人の覚醒」という第2部のキーワードを見つけることができたと思うと、やっぱり運命の力はすごいものです。

 

私も第2部、より一層の執筆活動に勤しみたいと思っています。

とは言っても最近はちょっと文章作成にアイディアが浮かばないスランプなので、ちょっと旅とか、全然会っていなかった人に会って話すでもしてみようかなって思います(笑)

まずはスランプ脱却。(当面の課題です)

 

それではまた。

 

God bless you.

 

 

こんばんは。

久しぶりの更新になります。

最後の更新は、1ヶ月前でした。

5年目でここまでのブランクは始めてです。

 

5月は改元から始まり、大型連休があって、そして人事異動があって、イベント盛りだくさんでした。

特に人事異動、これには5月下旬からバタバタとしてしまい、ついつい記録がおざなりになってしまいました。

 

3年前に小田原に配属となり、それなりに充実した3年間を送ることができました。

大学を卒業したときは、横浜で働くことを夢みて就職したので、当初は不満もありました。

でもいざ1週間をきったときには、本当に寂しい思いになりました。

 

まずは一緒に配属された同期とはほぼ毎週のように飲んで、真面目な話もしたり、馬鹿話もしたりで、その3年間の努力の積み重ねで、駅周辺の飲み屋マップを最後の日に完成することができました。

約30軒もマップに掲載することができて、後輩たちに引き継ぐことができました。

 

あの引き継ぎマップは、また数十年後に配属されたときに若手間で共有されていて、自分がおっさんになったときに、「そんなことやっているのか〜」と若手職員を見るのが夢です。笑

 

最後にやった仕事としては、人材育成として研修を行いました。

新人への研修というのは、職場内研修というのが原則でしたが、やはりそこでは伝えられないこともあるってことで、初めることが決まり行いました。

担当としても、「目の前の仕事は、職場内でできる。でも一歩離れた視点で考えることも重要な時がある」っていう思いで、研修を企画しました。

 

その中で登壇者の各セクションの部長たちの話は、新人向けでしたが、自分も感動しました。

やはり歴戦の猛者には、哲学があるなって思いました。

多忙になれば人は、入社したときの思いとかを忘れがちです。

やはり目の前の業務に集中してしまいます。

でもそのことによって、腐っちゃダメだし、大義を忘れちゃいけないよっていう趣旨でした。

 

「自分の仕事は何のためにやっているのか?」という問いの答えは、絶対に忘れてはいけないと。

 

何のためにやっているのか?っていう答えは、おおよそ綺麗事な言葉だと思います。

でも人間は、ときに綺麗事にすがってもいいのかなって思います。

これは昔の自分からの変化かなって思います。

だって綺麗事(理念)があるから、綺麗で入れること、頑張れるってことってあるのかなって思います。

 

論理的には言えませんが、綺麗事なしってロマンがないなって。

ロマンがないと、限界以上の力というか、いざという時に頑張る気力すら出ないのかなって思っています。

 

でも綺麗事(理念)にすがりすぎると、「正義のための暴力」などそれは過激主義というものに傾倒するので、結局はその中間を取ることが重要なことは添えておきます。

 

普段は話すことができない部長クラスからのお言葉には、「異動しても頑張ろう」って思えました。

あの仕事は小田原最後の仕事でした。

本当にやってよかったって思いました。

 

そんな気持ちで迎えた6月1日ですが、念願の横浜、本社。

本当に転職したというくらいに、全然今までとは違う仕事に携わっております。

本社はやっぱり時間の流れが早いし、案件も多いし、判断をしなくてはいけない。

 

だけれど、業務内容は変わりましたが、やるべきことは同じだし、「自分の仕事は何のためにあるのか」っていう答えに変わりません。

 

この2週間は、新しい仕事と自分の古い仕事の引き継ぎなどでバタバタしましたが、ようやく新しいリズムに慣れてきました。

 

昨日は久しぶりにやっ君とも対話をしました。

彼は彼で3年前に掲げた目標からの卒業を果たして、新しいドラマが始まったようでした。

私もこの3年で小田原での第1部を終えた気がします。

 

これからの3年間は社会人編の第2部です。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

令和になりましたね。

こんばんは。

 

平成の最後の日には、酔っ払った勢いでしょうか、こんなふうに時代の総括をしていました。

「平成は生まれ育てもらった時代だ。令和は作っていく時代だ。」

でもなんとなくこのフレーズ気に入ったのでしょうね。

次の日の同僚たちとの飲み会でも使っていたようです。笑

 

1日に同僚たちと話しましたが、新入社員を見て、やっぱり理想を夢見ていて純粋で新鮮な印象でした。

自分たちにもあんな時期はあったなんてほどベテラン感を出していないですが、良くも悪くも現実を見ていて、少しばかり夢を見ることをすれてきた時期です。

 

今年は異動によって、今までとは環境が変わることは間違いないですが、そこで夢見ることをすれていることが、本物になってしまう危険があるよね、と話しました。

 

夢を見ることの反対は現実主義です。

そう表現すると、響きは良いです。

でもここでいう夢を見ないは、シニシズム的で諦め感が漂います。

 

意外にも組織の中堅と言われる層には、こうしたシニシズムが蔓延しているように見えるよね、と同僚と話します。

話していて自分たちもその一歩を踏み出すところだった、と客観視できてよかったです。

純粋な新入社員を見たからこそ、自分たちの立ち位置がわかりました。

 

面白いのは、こうして中堅はシラけていて、若手は夢を見ている。

そして中堅を超えて幹部クラスになると、これまた意外と夢(信念)を持っている人が多いんですよね。

「これは本来こうあるべきだ」というイデアを持っている。

 

この構造を考えて見ると、やはり中堅ゾーンで夢(信念)を捨てずにシニシズム的な現実主義に陥いらない人はちゃんと上に行っているなって感じです。

でも本当に多くの人が中間ゾーンでロマンを見なくなるのでしょうね。

恐ろしいですね、組織というのは。

 

幹部が信念を持っているというのは、判断することが仕事ですから、至極まっとうなことです。

でもそういう人が上にいくということは、人が信念を持ち続けることって困難なのでしょうね。

というよりは、そもそも信念とか、夢とか、ロマンというのも描けない時代なのかもしれないですよね。

 

現実主義というのは良いことであると思います。

しかし、私がいうのもなんですが、「ひねくれて見ること」がかっこいい、みたいなシニシズム的な現実主義な風潮が少なからずあるのかなって思っています。

 

これもまた難しいことです。

「自立的に考える」ことが提唱されて育ってきました。

損をしない、自分が得をするように考えることを求められてきましたので、そりゃあひねくれていた方がお得な訳です。

 

全然別件ですが、「ロマンが足りないけど、どうしたらいい」という議論も先日しました。

 

最近になって急上昇ワードは、「ロマン」

ロマンといえば大正時代ですが、ここ最近は令和ロマン問題です。

 

組織で楽しくカッコよく生きていくためにも、なんか「ロマン」がポイントな気がしてきました。

 

この残りの連休、少しはロマンを探しに行こうかな。(ロマンってなんだ)

それではまた。

 

God bless you.