熊本地震のボランティア受付が始まったそうです。

2004年、オーストラリアにいた私たち夫婦に中越地震のニュースが飛び込んできて、
ちょうど日本に帰国するタイミングと重なりボランティアに何日か参加しました。

その時の様子をこのブログ内で探したら見つからず、
以前のホームページのコラムに載せていたことを思い出し
こちらのブログにそのまま再アップします。

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2004年11月

11月末、
震源に近かった小千谷にボランティアにいきました。

近づくにつれ、全壊した家、傾いた家、道路は波打って陥没している場所
がいっぱい。鉄塔が倒れていたりと被災地の現実を目の当たりにしました。
家屋が全壊してしまって戻る家のない人たちが避難している小千谷高校の
体育館で、私は心のケア・足浴、主人ははマッサージをしてまわりました。
塩谷地区の部落の方の話を聞いていると、こころがいたーくなりました。
「目の前で倒れた家屋の生き埋めになってしまった小学校5年生を助けて
あげることができなかった、」と話すおじさんには、返してあげる言葉があり
ませんでした。

体育館では、プライベートのまったくない状態で生活しています。
精神的苦痛は、考えられないほど大きいのもだと思います。
今、やっと仮設住宅ができ、全員が仮設住宅に移りましたが、仮設住宅は、
本当のいえではありません。
帰る家のないつらさ。
帰る家があるのに、帰れないつらさ。
地震ではどうにか倒れなかった家も、雪でやられてしまうかもしれない
せつなさ。

被災なさった方々は、いろいろな感情に押しつぶされそうになりながら、
それでもがんばって復興に立ち向かっていました。

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別の日のボランティア



災害ボランティアに参加してきました。
私の担当は、援助物資の仕分けをしました。

ボランティアをやってみてわかったことがたくさんありました。
援助物資を送る人は、必ず相手の気持ちになってあげないといけないということ。
わたしが仕分けした中で一番ひどいとおもったのは、喪服です。喪服を被災地に
送るということはどういうことか、考えられる人であれば絶対におくらないよね。
その他、半袖のお出かけ着や、夏物のきものなどなど、結局そういった不要物を
仕分けするために、ボランティアの力も必要になるので、無駄な人力となってしま
います。
オーストラリアで義援金を集めて、新潟の災害対策本部に送ったけど、やはり
義援金とボランティアの労力が一番ありがたい、と被災者の声。
いってみないとわからないこと、いっぱいでした。

もう雪が降り始めました。
今、必要なのは、雪かきボランティア。
心のケアもまだまだ必要です。


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東日本大震災のボランティアは、子ども達が小さかったので
現場にいったのは主人だけでしたが、
その後は子ども達を連れて、福島へ。
動物を保護している施設でのボランティアに
数回参加しました。

今回の熊本は距離があるので、出向くよりも他にやるべきことがあるのでは?と子ども達とも話合いをしています。

まずは、ふるさと納税で、南阿蘇村に寄付しました。
様々な支援方法があるので、
子ども達ともじっくりと話し合って
行動に移していきます。

「行動に移せること」
これをしっかりと子ども達に教えていきたい。

「祈ってる」だけではダメだと。
助けてあげたいと少しでもおもったら「行動」に移さないと!と


少しずつ、行動に移していきます

シックエジュケーション
うじたかおり