今どきの?

じゃないのかもしれないけど…


今日もまた

コタツでW君とダラダラしていたら

宗教の勧誘が来ました。

それも

勧誘とは分からない形で。


ご近所にいる年配の女性。


「近所の〇〇です

 裏の畑でキャベツを頂いたので

 良かったらどうですか?」


キャベツを届けにきてくれました。

全然親しくないのに。


結構ですと答えて

バタンとドアを閉めた私。


隣家のおばちゃんから

あの人は宗教の人だから

来たら断りなさいと

教わっていたから良かったものの

何も知らなかったら

キャンキャンと犬のように

喜んでキャベツ

貰っていたところでした。


以前にもこの年配の女性

我が家に突然来て

「お子さんいらっしゃいますよね?

 時折見かけるので…

 良かったらどうぞ。」

と、子育て冊子なるものを

くれました。


前回は断らずに受け取った私。

パラパラと中を見ると

普通の子育て冊子の雰囲気


一言もその宗教のことは書いてない

感じでしたが

どこかには書いてあったのかも

よく読まないで処分しました。


話したこともない

何の接点もない 

近所の人が

子育てしてるの見かけたからと

突然冊子を持ってきたり

野菜持ってきたりなんか

普通しないよね。


隣家のおばちゃんから

知らされていなかったら

私はきっと

親切な人もいるんだなー

近所だし

仲良くなりたいな

と思ったに違いありません。


だって私孤独だし

寂しくて寂しくて

とにかく人に頼りたい

いつもそんな気持ちで一杯なので。


こうやって

宗教だとか政党の勧誘なのを

隠して

野菜お裾分けとか

子育て冊子どうぞとかいって

少しずつ少しずつ入り込んできて

引きずり込むんだな。


この年配の女性には

息子さんと娘さんがいて

今は旦那さんと二人暮らしなのか?

知らないけど

息子さんは私が引っ越してくる

何年か前に

自宅で自死したのだそう。


あの家には

挨拶もできないような

変な息子がいたのよ 

毎日犬の散歩させてたんだけどね

と隣家のおばちゃんから

何度か聞いていた私。


あの時には

『挨拶もできないような変なの』

って

随分ヒドイなと思ったけど。


挨拶なんかできないよ


タイミング掴むの難しいし

男性なら尚更

気恥ずかしくて

挨拶なんかできないでしょう。


W君も挨拶なんかしないし

私の父もできない

私は父が挨拶をしている姿なんか

一度も見たことがない。

私はそんな親に育てられても

挨拶はできるようになったけど

しなくていいなら

挨拶なんかしたくないかな。


我が家は

『挨拶もできないような変なの』

しかいない機能不全家庭。


だから

自宅で自死したその若い男性が

どんなに苦しかったことか

そう思うと切なくて

犬はいつまで生きていたのか

知らないけど

もし飼い主の方が先に自死したなら

どれほど深く傷付いたことか

そんなことを時々

考えたり。


犬はとても賢いから

飼い主が自死したら

自分もショックで弱って

死んでしまうと思う。


お母さんである年配の女性は

淡々とした不思議な雰囲気を

身に纏っているけど

きっと今でも

息子さんの自死を

食い止められなかった自分を

責めているんじゃないだろうか

毎晩毎晩

息子さんが夢に出てきて

目が覚めるといないという

悲しい現実と

闘っているんじゃないだろうかと

想像しては悲しくなり。


宗教や政党の勧誘でなかったら

キャベツも受け取ったし 

冊子も読んだのにな。