今年の運動会は
母子で寝込んでしまったので
行かれませんでした。
小学4年生の運動会の思い出
なしになって
残念だったけど
W君にとっては
お母さんとお父さんが
二人とも家にいて
ゆっくり過ごせて
とっても嬉しかったと思う。
束の間の幸せ。
たとえ喧嘩をしていても
たとえお母さんが内心
怒りに燃えていても。
当たり前の幸せを
当たり前に
与えてあげられなくてごめんね。
だからお母さんは
W君が生まれるずっと前に
自死しておけば良かったと
悔いてしまうのだけど。
W君は
お母さんの具合が悪いと
ちょっと嬉しいかもしれません。
だってお母さんが具合悪いと
家にいてずっと動かない
W君父も形だけ看病しに来る
W君も動かないし
W君父も動かないし
3人で動かないで過ごして
それはW君にとっても
W君父にとっても
多分快適な時間なんだと思う。
お母さんが元気になると
お父さんは帰ってしまうので
W君はまた寂しくなる。
私も悲しいし寂しいし
絶望的に虚しくなるけど。
困ったお父さんだね…
というか
お父さんと呼びたくない。
…今はまだ虚弱ながらも
こうして私は再び回復できるけど
いつか
回復できなくなったら
本当に動けなくなったらと考えると
なかなかしんどいものがあるな…と
つくづく思います。
W君父はシニアだけど
悩みもないし
(悩めない)
困ることもないし
(困れない)
不安なんて感じたこともないし
(不安になれない)
好きなことしかしないので
病気とは無縁。
若い私が先に弱って死ぬのは確実。
私はゴミの中で
罵られながら放置されて
苦しんで死んでいくのかな。
世の闘病ブログを読んでいると
まあまあ
みんな
夫なり妻なりが
伴侶を深く愛していて
お世話を献身的にしていて。
私が住む世界とは大違い。
末期癌でガリガリに痩せこけて
少しボケてしまった妻を見て
やっぱり可愛い人だ
なんて書いてあったり
亡くなった妻に会いたくて仕方ない
なんていうのは
よく見かける内容。
妻のオムツのお世話もして
それでも尚
可愛いとか愛おしいとか…
世の中の人達って
愛情いっぱいの中で生きてるんだな。
どうしてみんな
そんな簡単に
深く愛せる伴侶を持てるんだろう…?
闘病で愛が深まったのもあるのかな
生い立ちの問題も深いけど
それだけでなくて
偏屈でこだわりが強くては
愛情深くて優しい伴侶は
得られないのかも
なんて思ったり。
献身的な妻は一般的だけど
献身的な夫のブログなんか読むと
複雑な気持ちになる。
実際は
そんな理想的な夫婦ばかりじゃない
はずだけど…。
病院にはなるべく行きたくない
薬はなるべく使いたくない
身体に悪い検査はしたくない
あの音がダメ
この臭いがダメ
光が眩しい
このベッドでは寝られない
この枕では首が痛い
電磁波が嫌だ
枕元のコンセントは嫌
LEDは頭痛がするのでダメ
なんて言ってたら…
愛情深くて思いやりのある人は
誰も寄り付かないのかも。
高熱から平熱にやっと下がった時
早速梅酒をゴクゴク飲んでいた私。
アルコールを摂れば治る
なんて思っている私は
最近毎晩飲んでいますが…
「もう飲んでんの?」
とW君父は
私に聞いてはきたものの
そうだよと私が答えても
いつも通り返事はなし。
この人は
相手が私でなくとも
返事をしないことが多いので
スムーズな会話は成立しません。
沈黙に耐えられない
人に気を使える体質の人とは
正反対。
誰が相手でも
ほぼ沈黙。
但し
それでも外面は良いので
他人の前ではニコニコ温厚なふり。
本当は超短気なのだけど。
それでとにかく
普通の?
愛情深くて思いやりのある男性なら
アルコールは身体に毒だよ
今日はまだやめておきなよ
なんて優しく言ってくれて
うんそうだね
やめておこうね
なんて
私も普通になり…。
好循環なんだろうにな。
私は一切
何もしてもらえない代わりに
W君父に影響がないことに関しては
口出しもされない
自由といえば自由だし
ただ愛がないだけでもある
この微妙な環境。
病気を抱えながら
頼れる人もなく
一人で暮らしている人は
どんな気持ちなんだろう?
刻々と死に近づいていくのを
自分一人で迎えている人は
苦しくないだろうか?
苦しいに決まっていると思うけど。
考えても仕方のない部分もあるけど
いつか
介護が必要になった時のことを考えて
どうなるのかなと
不安になるのでした。