どんなことでも、
自分がその状況に身を置いてみなければ
本当の意味でその辛さを理解することはできない

息子を育てていて、
常に感じることです。

息子は現在小学1年生ですが、
不登園をしていた幼稚園年中の時に
踏切恐怖症?になって以来
踏切を渡ることができません。
きっかけは、
幼稚園年中の不登園中、
預け先もないので
私の用事の為に息子を連れて出かけた時。
待ち時間がとてつもなく長く
遮断機が上がっている時間はほんの少ししかない
地元では有名な開かずの踏切を
うかつにも使ってしまったことでした。

長い長い待ち時間、
うるさい電車の音、
カンカンカンという踏切の音、
車のアイドリングの音、排気ガス。。
遮断機が上がり、
沢山の車が、
待っていた人達が、
一斉に急ぎ足で踏切を渡る……。
私も息子を急かしながら渡る……
踏切の真ん中あたりまで進んだ時に、
カンカンカンカンとまた踏切の音が鳴り出し、
遮断機が下がり始め……。

下がり始めた遮断機にぶつかることなく
ギリギリ渡りきって、
やれやれ良かった良かった、
まったくひどい踏切だな、
もうこの踏切を使うのはやめよう、
さあ時間に間に合わない、急がないと!!

その時の私は、
ただでさえ外出に物凄く手こずる息子を抱えて
急用の為に時間に追われ、
自宅に一人で息子を置いて出かけるわけにもいかないし、
誰も助けてくれる人はいない、
息子が普通に幼稚園に行ってくれていたら
用事がすんなりすませられたのに、
こんな時、
協力してくれる夫がいたら、
こんな苦労しなくてすんだのに、
と、内心、物凄くイライラしていました。

息子がどんな気持ちであかずの踏切を渡ったかなんて、
考えてあげる余裕はありませんでした。

怖かったろうね。
辛かったろうね。

この日以来、
息子は二度と踏切を渡ることができなくなりました。
どんなに小さな踏切も、
渡ることができません。

一度だけ、電車が確実に来ない、
田舎の駅構内にある
物凄く短い踏切を
息子の父親となら渡れた時がありましたが、
その一度きり。
息子の父親は普段一緒にいないし、
会っても子供の為私の為には何もしてくれません。
彼が普通の優しいお父さんで、
息子の為に、
踏切渡ろうか!
と、一緒に挑戦してくれたら、
きっと今頃、
息子は踏切恐怖症ではなかったはず。

そういうわけでとにかく、踏切が渡れないので、
その度に
わざわざ物凄く遠回りしたり。
体調不良で思うように動けないことの多い私は
その度にイライラ。

生まれつき外出を嫌う息子だったから、
外出といえば全て私が苦労の末に連れ出したもの。

子供って、外で遊びたくて仕方ない生き物……
じゃなかったの?

何としても外に連れ出さねば。

神経質ではあったけれど
どちらかといえばのんびり屋で短気とは無縁だったはずの私も、
息子の父親からさんざんな目に遭わされた挙げ句、
孤立無援の中での
母一人子一人の生活に疲れ果てて、
不安で不安で、
息子は何だか普通の子供と正反対のようで、
子供らしくなくて、
気がつけば私はいつも心の中が不幸で一杯、
悲しくて寂しくて、
そして息子に対しては短気になっていました。

もっと優しい気持ちで息子と過ごしたかった。
でもできなかった。

息子は生まれた時から短気だったけれど(苦笑)。