8月なのにシカゴは既に秋の気配。 秋といえば冬が近づいて気分が寒くなるだけなので、食欲、読書欲旺盛の実りある秋ということにしましょう。


さて、今晩はクリントイーストウッドの映画 グランドトリノを図書館でやっとGET、鑑賞できました。 いかにも中西部にありがちな人種偏見をもつ白人である主人公が、近所のアジア人の若者と触れていくうちに、自分の内面にある問題に気づいていくといったストーリ。


ある雑誌の中でこの映画についてコメントがあって、主人公が今のアメリカ社会の墜落とオーバーラップしているとあった。 そして、今までの驕りに批判的で反省を訴えるイーストウッドのメッセージだという。 イーストウッドが悪態ついたり、品のない言葉の連発を繰り返すのも、アメリカの一般的家族愛の上っ面さに辟易してくるのも皮肉に思えてくる。


上っ面だけでDiversifiedとかInternationalとか言って国際人ぶっている人や、GMみたいな売れない車作って反省しない人達より、主人公のおじさんのがよっぽど始末がよくて信用できる。 戦争をして人を殺して勲章をもらう、そんなこと誰も名誉と思わないし、本人にとっても大義名分にもならない、正当化できない。 自分の中に背負い込んで生きてそして自分も死んでいく。 ストーリの最期は、アメリカ人ならきっと主人公が復讐に燃えてギャング達と銃撃戦を交えるカッコいいダーティハリーを期待していた筈。 それで気持ちがスッキリするのがいつものパターンを見事に裏切って、無抵抗に全身に銃弾を受けて無力に倒れる姿。 それがまさしくRedemption(償還)として本人が望む一番最期に思えた。 さすが、イーストウッドの入魂ぶり。グッド!


さて、映画のタイトル、GrandTrinoという車、燃費のための軽量化とか小型化している車ばかりのこの頃、重厚長大なあの車が美しい名車に見えてくるのは自分だけだろうか?  これも主人公とオーバーラップさせているのだけど、良き時代を過ごしたアメリカ、それで十二分のRedemptionではないでしょうか。 自分も誇りに思えるような思い出に残るような愛車に出会いたい。。メラメラ


とある雑誌に、ブログは自分の言いたいことだけ一方的に書くだけで独りよがりの世界であって、自己満足の産物だと。 言葉が乱れ飛んで、それが独り歩きして何処かで読んだような内容。 まさに百万なり一千万のブログ作家がいて、それに匹敵する数の読者で作られる、非生産的なものを感じるこの頃。 それならブログ書くな!といわれそうが。。。


昔に比べて今は名作家が育たない、ただ読み流すだけの、どうでもいいような娯楽本が氾濫している。 夏目漱石。 一人の作家に何百万、何千万の読者が感銘を受けて語り継がれ、今呼んでも決して古くない。 学校の授業思い出すと、漱石の小説のわずか一節を引用して、主人公の気持ちに相応しいものは次のどれか?何んてテストに出てくる。 それって正解あるの?? 夏休みの宿題で指定された小説を読んで、原稿用紙何枚以上で感想文書いてこいとか強制に近い読まされて好きになった作家っていないですよね??


まさに漱石は教科書で出てくるお手本のような作家。 でも、今読み直してみるとそういうことだったのかと、大人になってわかることも一杯ある筈。 国語は教育、学校教育は義務教育。 きっかけとしての教養は大事。 もう一度読んでみることは昔の感受性と違っていて、こんなこと書いてあったの??とか新たな解釈なり発見が必ずある。


ブログなりインターネットは役立つ情報一杯。 ふーん良い事書いてあるね、それで終わる使い捨ての世界。 その情報は正しいのか、間違っているのかすら定かではない。 小説がどんどんタイプされてネットで読む時代。 切り刻んで断片的に使われるようじゃ、国語の教育と一緒。 サンショウウオは悲しんだ。 その文が冒頭なのか最後に出てくるのか、果たしてなぜ冒頭なのか。。。 読書が考える謎解きが面白いのに。


何か取りとめのないことを書きました。 題目にも全然触れていないし。。。要は、能動的に自分で選択して自分の考えまとめるなり、言葉で書いてみること。 そう心がけたいと考えています。