ユメガカナウトキ -8ページ目

ユメガカナウトキ

夢がかなうブログ・・・いや夢を叶えるブログ。

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もう来月で51歳になってしまうのに、自分は今だ大人になりきれていない。
今日は母と喧嘩した。
もう何度目だろうか、2~3年前から軽い認知症の母と・・・
ボケているなんて認めたくないから、ついついひどく怒ってしまう。
こんなことを繰り返していていいわけがない。
しかし、わかっていながら、とぼけたことを言う母を見ていると
ついイラついてしまい、怒ってしまう。

反省・・・
今日は、すぐに反省した。
いらついていたのは、母だけのせいではなかったような気がしてきた。
仕事のことや、他のうまくいっていない人間関係のことで自分がストレスを
感じているのは間違いのないこと。

夜のウォーキングの時に、夜空に向かい主に聞いてみた。

「私は大丈夫なんでしょうか」
「私はこの先ちゃんとやっていけるのでしょうか」

主はなにも答えてはくださらなかった・・・
しかし、自分にはその答えがわかった気がした。

帰宅して、入浴する際にリビングにいる母に、謝った。
母は泣いていた。


ミノワマン

格闘家、リアルプロレスラー、侍・・・

格闘家のミノワマンが好きです。
彼から滲み出ている、ひたむきさがとても好きです。
小さな身体で、ヘビー級の選手に勝つ。まさに侍です。

彼は言います。
決して夢をあきらめないこと・・・

彼は子供のころ、とても身体の弱い子だったそうです。
プロレスラーになると言うと、廻りのみなから笑われたそうです。

しかし、彼は諦めなかったそうです。
夢を手に入れている、そして、ほぼ手に入れているいまでも決して満足はせず、まださらに上を見て生き、戦い続けている。

頑張れ!!ミノワマン!!
そして、ありがとう!!ミノワマン!!


自分が好きか?
家族が好きか?
自分の生まれた町は好きか?
自分の国は好きか?

大事なことです。
今一度考えてみましょう。

自分の国に誇りをもちましょう。


人のふり見て、我がふりを・・・


先日、近所の割烹で軽くいっぱいやった。

そこの店のママさんが、ご近所の喫茶店のママさんの悪口を言い出した。ゴミの捨て方、お客の違法駐車、自分は客のはずであるが、気が付くとママさんの愚痴をずっと聞いていた。
少し不愉快だった。
当分この店に来るのはよそうと思った。
商売人は人の悪口を言うもんじゃない。やめたほうがいい。

人のふりみてわが身を正す。


日々の生活に疲れないこと。
流されないこと。
ちゃんと夢を想い続けること。

簡単なようでなかなかできない。

常に思っていないと、夢は近づいて来ない。決して。

だから、生活に疲れないで、流さなないでいることは、とても大事なことなのさ。

決して諦めずに、毎日考えること。
ちゃんと思うこと。
それを忘れないことさ。


今日はたくさん書いてみる。
エバーノートに書き溜めた、短い文書を読み返し、これはいいと思ったことはここにも書いてみる。

なにも書けない日が続き、焦っていたが、いつまで考えても答えがでなければそれは、仕方ない。

なんでもいいから、今日は書いてみる。それでいい日にする。

きっとなにか生まれてくるさ。


つぶやくように書くと言う。
決して無理に搾り出すわけでなく、
自分の中から湧き出るものを、たんたんと書く。それだけ。
予定よりは時間がかかるかも知れない。
しかし、仕方ない。
湧き出すなにかは、すぐに枯れるかもしれない。
しかし、それも仕方ない。
次に湧き出すまで待つしかない。
そう言うものだ。
しかし、毎日なにかを湧き出させよう。
それは自分との約束にしよう。

時には苦し紛れの一文となる日もあるだろう。繰り返し繰り返し、積み重ねて作品になる。
それでいい。


私は、私の次にするべきことは・・・
わかっているようで、わかっていないようで・・・
焦っているようで、そのうちにお告げがあるさとのんきにしているところもあり・・・

本当はどうなんだろう・・・
なにをなすべきか・・・

私は、おそらくなにか書かなくてはならないと思う。

作品を・・・書かなくてはいけないはずである。それはわかっている。
しかし、書けない。もう何ヶ月も同じことで悩んでいる。
これも私の才能の限界なのかもしれない。

感動できることは、廻りにたくさんあるはずである。
日々それに気づくことができるのは、幼い子どもである。

大人は歳をとるごとに、なにを見ても感動をしなくなる。
頭脳のレベルがそんなに高くなくとも、性格がとても優しい人であっても、
人間的に最悪な人であっても、その感動に対する鈍感化・・・感動に対する
退化はほぼみなに共通して、どんどん歳をとるごとに進んでしまうのである。

なぜならば・・・
映画を見て涙を流し、絵を見て心のくつろぎを感じる心。
きれいな風景を見て感じる高揚感。
どれを例にしても、歳をとると感動はみな非日常のなかにしかなくなる気がする。
日々の生活の中にも、きっとささやかな感動はあって、それを糧に生きていたころも
あったはずである。

私は、なにか書かなくてはいけない。
誰のため・・・
自分のため・・・
世の中に、本当のことを伝えるため・・・
不思議ではある。
言いたいことがあって、メッセージとして文書を書くのが通常のことであろうが、
私の場合は、書く必然だけ感じていて、言いたいことがまだない。