ユメガカナウトキ -10ページ目

ユメガカナウトキ

夢がかなうブログ・・・いや夢を叶えるブログ。

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思った。感じた。だからすぐに書き留めるべきだと、ペンをもった。
しかし、今一度手を止めて考えた。 書き出さずに手を止めた。
考えたくない、触れずに過ごしたい。 だから手を止めた。
これが正しい。

子供を寝かしつける時に感じる、他にたとえようのない安らぎや、小さな手を触るときの愛おしさ。過ぎ去って欲しくないこの感じ。 止まっていて欲しい。
多分、いや、考えたくないが、多分、気がつけばすぐに10年過ぎ、20年過ぎ、彼は大人になり、私は老人となり、そして死んでいく。
間違いなく、一瞬のごとく過ぎて行くこの時間。
私はそれが怖くてしかたない。
だから、だから、考えたくない。 触れずに過ごしたい。
しかし、逃げることはできない。
だから、大事にしなければ。

思いや、行いや、自分の命を。 明日は元旦。 思いを新たに。自分を大事に。


自分のことしか考えてないから、うまくいかないんだと悟りました。

他人が喜んでくれるには、どうしたらいいのか考え、思い続けて、行動したら、おそらくは知らない間に良い評価を得て、そして、結果として自分のスキルが上がるのだろうと思います。

みんな!頑張りましょう。
少しづつでいいから。
元気が出ないとき、誰でもあるよね。
そんな時、試してみてください。
とにかくポジティブな言葉をつぶやくこと。
私はにーよんログを使って、思いつく限りの明るい言葉を呟きまくります。
けっこう効果があります。

また、時には元気ない書き込みを見つけて、励ますコメントを入れます。
そして、その相手から、「頑張ってみます。」と返信がくる時があります。そうすると、気持ちよくて、自分も元気がでます。

みんな!明日はきっといい日になるよ!
13歳でドラムを叩きはじめ、20代後半から40代の前半ごろまでは、ほとんどセミプロのような生活をしていた。

一緒にやっていた人たちとのトラブルをきっかけに、演奏から遠のいてしまい、数年は叩かない日々が続いていた。
それまでは、演奏することがまるで生活の一部のようだったし、他にはなにも取り柄のない私は、叩かない日が続くうちに、ウズウズした気持ちが募り、他に演奏の場所を求めて、若いバンドに加入したりしてみた。
しかし、純粋なアマチュアのなかでの演奏で感じるのは、ストレスばかり。いくつかのバンドに加入したが、どれも長続きはせず、結局は、また叩かない日が続き、今日まで過ごしてきた。

そして、最近になりまた「叩きたい・・・」の虫が疼きだした。

昨夜、勇気をだして、久しぶりに昔の仲間に連絡してみた。
本当は、とても尊敬していたベース弾きの先輩に。
「またやりませんか?」
「おーやろうかー!」

これといってなんの説明も、言い訳も、謝罪も、…なにも必要なかった。
私ひとりだけで勝手に、わだかまりを作っていたことに気づいた。
素直に嬉しかった。

練習しておかなくては…と思った。
父の夢。
私の夢。
同じような夢。

だから、私がなんとかする。
夢は、思い続けること。ずっと、ずっと、思い続けること。
そうすれば、必ず叶う。

夢は必ず叶う。
今年、6歳になる長男も、来春には一年生になる。今でこそ彼はとても明るく、元気に保育園に通っているが、生まれたときは病気で、一年と三ヶ月は50km離れた病院のNICUに入院していた。
この先、いつまで続くのかわからないままに、しかし、今に良くなるさと、そう悲観することはなく、いや、悪いことは考えないようにして、家内は毎日、私は週末のたびに面会に出かけ、静かに病状を見守った。

昨日、家族で車に乗り出かけていたときのこと。家内が突然に、あの頃のことを話し出した。
長男の病気は、先天性食道閉鎖症A型という珍しい病気で、併せて心臓の一部に、小さな穴があるという症状もあった。当時、私に内緒で家内が取り寄せた資料によれば、心臓疾患を併せ持った症例13人のうちの11人が、食道閉鎖の手術ができるようになる前に、心不全などで亡くなっていると記載されていたそうだ。そのことは、私には話さず、家内は一人で「この子は、そんなに長くは生きられないんだな」と思い、涙を流したと言う。

「今、本当に幸せよね。」唐突に家内が言った。

私が悲観することを心配して、深刻な症例の話しを一人で受けとめていた彼女にしてみれば、今、奇跡的に病気を克服して、元気に笑う長男を見ていると、改めて健康に育つ子供の姿がありがたく感じることが私にはよく理解できたし、そんな大変な事実を知りながら、私には一言も話さず、なんとかポジティブでいようと耐えた彼女には、まさに母の強さを感じずにはいられない。

「今、本当に幸せよね。」私は今、この言葉を噛みしめる。
家内が心から感じている、この幸せの言葉は、当たり前に私の幸せを作ることに直結していて、それにより作られる私の笑顔を見て、長男もケタケタと大きな声で笑う。

私は考え、そして気づいた。
人として生き、歳を重ねた末に気づかねばならないこととはなにか。

たぶんそれは…本当の幸せってなにかがちゃんとわかっていて、それをずっーと忘れずにいて、毎日を大切に生きていて、そして笑顔でいること。
そしてそれを、照れずに「今、本当に幸せです。」と何度も繰り返して言えること。その言葉にして放たれた気持ちは、必ず他のものに波及して、その人も幸せにできるということ。

「今、本当に幸せよね。」今、私はこの言葉を噛みしめる。
なんべんも、なんべんも。
そして、私も心から思う。今、本当に幸せだと。

会社のスタッフが、とても素晴らしい提案をしてくれた。
いつもは地味に、経理を担当している、主婦のパートスタッフなんだけど、
ある商品に付加価値をつけるアイデアをだしてくれた。
内容も素晴らしかったけど、そういう立場のスタッフが、ちゃんと業務についても思いを持ってくれているのが伝わって来て、どちらかと言えば、そっちのほうが嬉しかった。

改めて、いいスタッフに恵まれていることに感謝したい。

ありがとう。
仕事で、ある申請書類を書いていた。
最初は自分の思いを大切にし、丁寧に表現した文章にしていたが、
「この文書は長すぎる。こんなの誰も読まない。」
「半分の量に削除しなさい。」
申請について相談していた、コンサルタントの言うままの文書にしていたら、本当に味気ない、面白くもなんともない文章になってきた。

これは自分のやりたい仕事ではない。

面白くない。感動のない文章。つまらない。書きたくない。
こんな思いのまま、数日かけて文章を書いた。
いつの間にか、しかめっ面になりながら・・・
とりあえず文章を完成させ、
コンサルタントの”お墨付き”をもらって、お役所に書類を提出した。

数日後、役所から電話。
「この文書では、あなたのおっしゃりたいことがなにも理解できません。」
「あなたのおっしゃることの根拠が読み取れません。」
特に、コンサルタントが大幅に修正した箇所についての修正指示が一番多く、ほとんどが書き直しになった。

相談料を払ったのに、なんだこのテイタラクは・・・・私は怒った。

私は、自分の思いで書いた文章に大幅に修正した。
コンサルタントが”指導してくれた”文書量の倍くらいの文字数になったが、
自分の言いたいことを面白く読めるような言葉を使い、工夫しながら文章を書きなおした。

やはり、自分の言葉で文章を書くのは楽しい。面白い。
気がつくと、私は笑い顔で文章を書いていた。
楽しかった。
数日後、思いのままに、文章を書きなおして、役所に再提出した。

再び役所から電話。
「とても解りやすい、良い資料になりましたね。」とお褒めの言葉。

私は思った。
しかめっ面で書いた文章と、笑顔で楽しく書いた文章。
伝えたい事柄は同じ内容。
しかし、そこにちゃんと思いがあり、楽しんで書いたものは、ちゃんと評価を得た。
自分の言葉で書いた文章が間違っていなかったと証明された。いい気分だ。

嫌だ嫌だと思いながらした仕事は、結局はいい結果を産まないようだ。
笑顔で楽しんでした仕事はちゃんと人に伝わり、人の心に響くのだ。

今回の学びは大きいと感じる、今日このごろである。

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毎日忙しく、仕事は大変だけど、今とても楽しみにしていることがある。
来春、長男が一年生になる。
小さい身体に、おろしたての制服と、ピカピカのランドセル、眩しいくらいに鮮やかな黄色い帽子。大人の私も、想像しただけでワクワクしてしまう。

私は、自分に子供ができる前から、時折道ばたで、ピカピカのランドセルに”背負われた”一年生とおぼしき子供を見かけると、そのたまらない可愛さに思わず微笑んだ。もともと、子供が好きなのだ。

私の長男は、先天性食道閉鎖症という病気の状態で生まれ、当初主治医からは、一年生にあがるまでNICUにいることになるだろうと言われていた。
そののち、2回の手術を経て、奇跡的な回復をし予定を大きく変更、一歳と三月で退院。今では心配されていた後遺症もなく、元気に保育園に通っている。

そんな彼が、もう一年生になる。
なんとありがたいことだろう。

休みの度に面会に行き、早く一緒に暮らしたいものだと願ったことが、まるで嘘のように、本当に何事もなかったことのように、彼はすくすくと育っている。

今、改めて言います。
神様ありがとうございます。
本当にありがとうございます。

今、私は本当に春を楽しみにしている。
おそらく、誰よりも楽しみにしている。

春よ来い。はーやく来い。

10年使った電波時計が壊れ、ネットで時計を探していると、昔憧れていた機械式自動巻のダイバーズウオッチがまだ作られていることを知って、すぐに購入した。
 
それまで電波調整で時刻は正確なうえ、電池も替える心配もなかったこともあって、新しい機械式の時計の、3日に2、3分は進み、土日に使用しなかったら、月曜日の朝には止まってしまう、アナログな現実に少し不便を感じたが、シンプルなデザインや、ズッシリした高級感に、飽きもこず、一年間は他に浮気することなく使ってきた。

しかし、確かに最初は感じた…なんで今時、腕時計の時刻合わせなんかしなきゃいけないの?かっこ悪い。そして、慌ただしい月曜の朝、止まった時計を見て苛立った。

けどね、一年して慣れた。
いや、気づいたんだ。これでいいんですって。
昔はこれが普通だった。
いやいや、自動巻というだけでもすごかったんだ。
今は、進んだ時刻を合わせ直すことって、なんだか粋なんじゃなかろうかと思う。
昔の映画で見た光景のような…月曜の朝、止まっていたら、まずはグルングルンという音をたてて、時計を振り回しネジを巻いて、時刻を合わせ、腕に付けてからも時々手首を振る癖がついた。不便でも、私の時計はちゃんと動いているという実感があるんだ。
なにも、完璧に正確な必要はないんだ。
少しはいい加減なところがあっていいんだ。
そのほうが疲れないんだ。
私は今、そう思うようになった。

実際に、私が少年だった頃に憧れていたこの時計が、今でも作られ、販売されているのだから、それはまだ多くの人に求められているということなんだ。


今、身のまわりに溢れかえった、様々な超便利で完全完璧なマシンたち。
私たち人間の身体や生活のリズムに本当にあっているのだろうか?

みんなどう思う?
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