私は、創造性という分野において、妻に遠く及ばない。 何もない中空から綿菓子を紡ぐように、自らが作るべき形が降臨し、本来の用途とは全く無関係に工事用塩ビ管などを美術作品に仕立て上げてしまう脳神経回路を持ち合わせていないのだ。

 

 私の脳神経回路は、炎天下、果てしなくレンガを積み続ける職人のそれに近い。 四角四面で面白みのない人間なのである。 だがそんな面白みのない人間であっても、薄暗い精神の片隅には明るみに出ることをじっと待つ表現欲が蟠っている。 その有様を、二十年近く前に書いた文章の一節をここに借りて見ることにする。

 

 曰く

「文字に魅せられ言葉の奴隷と成り果てた者共は、情念の混沌から何がしかの言葉を掬い、あるいは掘り出し、捏ね、縒り、綯い、胸の震えにシンクロナイズをさせ、思うが儘の舞踏を演じさせてみたいと、一再ならず夢見た事があるに違いない。」

 

 二十歳をまたいでの何年か、仲間たちと同人誌のようなものを作って以来、私の表現欲はただひたすら言葉と文章に向かってきた。半世紀以上を経た今も、その向かう先は不動であり、推進する動力にはいささかの衰えもない。

 

 つづく