どうしたのだろう、「ホモ・デウス」の読後感想などむりやり書いて不完全燃焼したのか、それとも頭の中のオリジナルが出尽くして、ブログネタを既製品頼みにしなくてはならなくなったのか。 まるで売れっ子のベテラン作家が行き詰って時代(歴史)小説に逃げるのを真似したようだ。
というわけで、本の紹介だ。
新刊でないのは隠居が百円コーナー専門だから。
そうそう、今回はちゃんと内容についても書くよ。
〇 著者 : 石黒耀
〇 死都日本(講談社文庫版) 初出 二〇〇二年講談社
〇 震災列島(講談社文庫版) 初出 二〇〇四年講談社
〇 富士覚醒 講談社文庫版) 初出 二〇〇六年講談社「昼は雲の柱」を改題
何ともベタな題名を見てわかるように、ディザスターとかクライシスとかいろんな名前を付けるが要は災害モノだ。 それぞれ独立した物語で、一冊でも十分楽しめるが、実質は三部作と言ってよく、まとめて読んだほうが面白いしためになる。
ちなみにタイトルのつけ方については著者も忸怩たる思いがあるようで、三冊目「富士覚醒」の中で登場人物と週刊誌の見出しを借りて痛烈な批判を展開している。
さてこの本、分類すればSF(サイエンス・フィクション)ということになるのだろうが、通奏低音というか満場に響き渡る交響楽のような情景をなす「サイエンス」は、「フィクション」と呼ぶにはあまりにも精緻で、その内容は執筆のための取材という範囲を大きく超えているように見える。 実は著者、火山・地震マニア、あるいはヲタクと呼んだほうが良いのではないか。
ちなみに著者は宮崎医科大学(現宮崎大学医学部)出身の医師である。
一冊目の「死都日本」は、霧島を中心とする火山群が破局的大噴火を起こし、ほんの数日で南九州は壊滅。 その被害が首都圏にまで及ぶという設定で、前節にも書いたように、災害の進捗とその原因についての記述は科学的で精緻この上なく、したがって極度の現実感を読み手に与える。 妻も私も、読後TVの天気予報などで九州の地図が目に入ると、思わず身震いをしたくらいだ。
二冊目の「震災列島」では東海・東南海地震が起き、津波に襲われた浜岡原発がメルトダウンするという設定。 その内容は、この本が書かれてから七年後に起きた、東日本大震災と福島第一原発事故の有様に酷似していて瞠目に値する。
SFとは言いながら「死都日本」では「サイエンス」とほぼ等量、二冊目以降で過半を占めるのが、日本の政財界に対する批判であり、また著者独特の文明観だ。 「富士覚醒」のあとがきのなかで、基礎科学が「想定」した過酷事故を、応用化学は「想定外」と片付けてしまう、と「経済」最優先の在り方を痛烈に批判してもいる。
アホな価値観をおでこに張り付けた輩が、世界各地で同じ人類を殺して回っているが、どれほどアホでも相手が人間なら名誉でも金でもぶら下げて交渉のテーブルにつけさせることは不可能ではない。 だが自然は、金輪際人間と交渉相手にはなってくれない。 われわれ人間は、自然の言うなりになるしかないのである。