若いころは入浴という行為に積極的な関心を持つことはなかった。 記憶をたどってみれば、入浴は、あくまで身体を清潔に保つための義務という風にとらえていたようだ。

 

 二十歳代半ば、結婚して最初に住んだアパートは、もう五十年も前のこととてもちろん内風呂はなく、入浴するには毎度徒歩十分ほどところにある銭湯に行かなければならなかった。 徒歩十分は、入浴に対してモチベーションを持たないものにとって足が遠のくのに十分な距離で、夏はまだしも寒い冬になると一週間二週間あいだが空くのも苦にならず、だが妻にとっては大変な苦痛であったらしく、夜な夜な台所に連れていかれ、全裸に剥かれ、あれーお代官様お許しください、などと悲鳴を上げるのをしり目に硬く絞ったタオルで全身をこすられたものだ。

 

 妻にごしごしと体をこすられながら、子供のころ母親に連れられて銭湯に行ったときのことを思い出した。 潔癖症の傾向があった母親はかならず、浴槽につかる前の私をたっぷりと時間をかけて、体中が真っ赤になるまで硬く絞ったタオルで垢すりをした。 もしかすると私の若いころの風呂ぎらいはそのせいかもしれないと思った。

 

つづく