どうして「死ぬ」ことがこわいのかな?と思っていて、ある本に出会った。

そこには強制収容所のこととか、書かれていた。

ガス室とか・・・。

なんだか浮かんでくる。ガス室に送られたり、送られる前に、裸にされたりしたときのこと。

大勢の人間が、裸で埋められたりしているところ。(生き埋めか、死んでからか、わからない)

わからないけれど、そういう夢は何度も見たことがある。

私は素っ裸の状態がすごく嫌で、子どもの頃はお風呂も恐怖だった。

今でもお風呂からあがって、適当に拭いてまだ濡れていても、服を着てしまう。

触られるのは、怖すぎて、嫌悪感というよりも心身の感覚が消えてしまう。

思い当たることがある。

小学生の頃、教師に毎朝、何名かが前に連れてこられて、いじめられるのだ。男子も女子も、殴られたり、つねられたり。

もちろん、不特定の子がされている訳ではなく、宿題を忘れたりすると黒板に「○○ 漢字宿題」と大きく書かれるのだ。

わたしは転校してきてすぐだったんで、クラスの様子がさっぱりわからなくて、宿題のこと知らなかった。

で、毎朝私もねちねちと被害にあっていた。

しかしそれを日課のように受けていた。「あ~いやだな・・・」いやだったら宿題をすればいいのに。

宿題はしないし、親にも言わないし。

きちんと退行催眠を受けた訳ではないのでわからないが、強制収容所へ行ったこと、過酷な労働、そしてガス室行きは体験したのだろう。

収容所では、例えば咳やくしゃみをしたり、靴が足にあっていなかったりするだけでガス室送りだ。

小学生の頃、クラスでぼこぼこに殴られて、鼻血を出している男子と殴り続ける教師を、ただ静かに見ていた。

殺されるんじゃないだろうか・・・?でも黙っていた。大人に話すと、こっちが殺されるから。

静かに、生きるためにだけ、できることをしていた。


収容所の頃と繋がるのは、本当につらかった。

昨夜はそれでうなされた。ほんとうに怖かったのだ。

でも出てきたから終わり。

今の私に出てきたのは、光となって解放されるため。小学生の頃も、収容所の頃も。

服を脱ぐことがこわかったり、自分の意見を述べることがこわくても、今の時代はそれが通常。

収容所時代の恐怖を感じながらも、意識的にそれらの行為を行うことによって、克服しているのだろう。

人はそれほどに、強いのだ。

自分の強さを信じて、誰よりも私が、私を守っていくべきなのだと思った。