こんばんは 阿部梨絵です。
数あるブログの中からお越しくださりありがとうございます。(^_-)-☆
前回は
私が使命に気付くことになった原点である
生い立ちをお伝えしました。
そんな前回のブログはこちら
どこにも心が休まる所がなくて
信じれる人が誰もいなかった幼少期
信じれる人が誰もいなかった幼少期
やがて不安が重い病気を作り出し
『ネフローゼ症候群』という腎臓の病気にかかりました。
『ネフローゼ症候群』という腎臓の病気にかかりました。
3か月 3か月 4か月
計10か月以上の入院生活を送ることになり
ベットから一歩も降りてはいけない絶対安静が続きました
原因は不明
腎臓のろ過機能が壊れ たんぱくが尿へとダダ漏れの状態でした
小児病棟では
0歳~18歳の子どもが療養しているので
0歳~18歳の子どもが療養しているので
特に小さい子は家族と離れた生活に
情緒が不安定になったり
情緒が不安定になったり
面会時間が終わる午後19時になると毎日あちこちで泣き声が聞こえてきました。
その後少したつと、
夜を迎えた病棟はし~んと静まり返るのです
5歳の私には とても寂しい入院生活でしたが
そんな淋しさも
検査の痛みも
検査の痛みも
大量の薬も
治療の辛さを
泣くことなくじっと我慢できたのは
そこ(病室)が私の感情を揺さぶることのない平和な場所だったからなのかもしれません。
私にとっては唯一休まる場所でした
小学校に入学する前には 突然病気が完治して(学校には行かないと人生が終わるという意識が働いたのかも)
そこからは再発することはなかったけれど
ステロイドの副作用で
顔の浮腫みが酷く 髪の毛は日本人形のように太く真っ黒になりまるで別人でした。
1年生の頃は
体育も一切できなかったので
当時の写真を見ると
くらーいイメージでした
くらーいイメージでした
その頃、店から100Mほど離れた1件家に引っ越し
とても嬉しくて浮かれていたことを覚えています。
兄とも楽しみだねってその頃は話して…
だけど
その新居での生活がまさか地獄の日々の始まりになろうとは…
その時は思ってもいませんでした
退院して浮かれるのもつかの間に
私への兄の態度が一気に酷いものになったのです
私が女の子として祖母に可愛がられていることへの嫉妬
よくある嫉妬からの兄弟喧嘩。
そんなナマやさしいモノではなく
家の中が少しずつ憎悪に包まれていきました。
遊び終わって夕方家に帰ると
だいたいが祖母が帰るところで
(祖母は家事をしに自宅からわが家へ通っていたので)
(祖母は家事をしに自宅からわが家へ通っていたので)
『リエちゃんをイジメないようにね』
そう言って兄と私にお菓子を渡し帰ると
兄は待ち構えていたかのように
玄関と 勝手口のカギをカチャリと閉めました。
理由なんてない 殴る蹴るの暴力の始まりです。
綺麗に結わいた三つ編みを 握りしめ振り回され 引きずられ
背中を蹴りとばされ…
扉を開け 大声で外に助けを求めたりもしました。
兄のすきを見て運よくお店に電話をかけた時は 母が見にきて
それでも収まらない時は 父が兄を叱りには来たけど
応急処置のようなもので
兄の暴力はますます激しさを増すばかりでした。
父も母も お店が一番忙しい時間帯に
『ただの兄妹喧嘩』に
お店の電話が鳴るのでたまったもんではなく
お店の電話が鳴るのでたまったもんではなく
逆に怒り狂って父から怒鳴りつけられる時もありました。
母が夕飯の準備をしに帰る時間まで暴力は続きました
大事にしていたものもたくさ壊され
私の全てを叩き潰されてしまうんじゃないかという怖さ
とてもではないけど
鬼が住むこの家に友達を上げることなんて出来ず
遊びに行く友達の家が いつも楽園に思えました✨✨
整った部屋、用意されていたおやつ
その子が家の中で
とても大切にされている感じがしました。
『生きた心地のしない家に住んでる子なんているわけないよね…』
母と祖母は父の陰口ばかりを言い
母と父はいつも言い争い
この家はいったいなんなんだ
そう思うほど惨めになり
この家に生まれてきたことを恨みました。
家の中で毎日繰り返される壮絶な出来事を
隠すかのように
隠すかのように
学校ではますます真面目に 明るくふるまうのでした。
私が小学校高学年
兄が中学生になる頃には
身体的暴力は収まりましたが
酷い罵声を浴びせてくるようになりました。
私の選ぶ物 服 一つ一つをとことん否定するような酷い言葉でした。
おまえの鼻は変な形をしてる!
おまえの唇は分厚い!
おまえはチビでデブでどうしようもないから死んだ方がいい!
気持ち悪い!
なんだ その服 似合わないぞ 気持ち悪い!
変な爪の形だな 気持ち悪い!
おまえの唇は分厚い!
おまえはチビでデブでどうしようもないから死んだ方がいい!
気持ち悪い!
なんだ その服 似合わないぞ 気持ち悪い!
変な爪の形だな 気持ち悪い!
とても自分では書けないような酷い言葉の数々でした。
家の中で私の後ろを追いかけてきて
執拗にずっと罵声を浴びせてきます。
思春期にさしかかる頃に
身体的なことや
身体的なことや
人格を否定されることを言われ続け
鏡を見るのが怖いときがありました。
昔 菅野美穂さんが出ていたドラマ『イグアナの娘』をご存知ですか?
娘を愛せない母親には 娘が醜いイグアナに見えてしまい
愛情をそそがれない娘は身体醜形障害となり
愛情をそそがれない娘は身体醜形障害となり
『自分は醜い』という思いこみから
劣等感や 自尊心の欠如に
怯えすっかり自信を失ったまま育っていくのですが
やがて 友情や恋愛から 自立を勝ち取っていくというストーリーです。
怯えすっかり自信を失ったまま育っていくのですが
やがて 友情や恋愛から 自立を勝ち取っていくというストーリーです。
まさにそのころの私がそうでした。
人より何もかもが劣っていると感じ始め
褒められてもそれを受け取ることがずっとできずに
人並み以上の劣等感と、
『私なんか』という思いで
頑張ろうとすればするほど
なぜか苦しくなる一方でした。
なぜか苦しくなる一方でした。
そして兄はもっとそうでした。
『背が伸びないのはお父さんに似てるからだ、あいつの遺伝子のせいだ』
『太りやすいのはお前のせいだ!何とかしろ!なんであんな奴(父)と結婚して俺を産んだんだ!頼んでもないのに!!
なんとかしろ!
責任取れ!!』
何度も何度も繰り返し繰り返し同じことを言う兄
やがて、私への罵声は母や祖母へと
向けられていきました。
自分が言われている以上に
母や祖母が言われている姿を見るのは辛く、耳をふさぎたくなる苦しさで
いっぱいでした。
早くこの時間が過ぎ去ればいいのに…と
でも
そんな思いとはうらはらに
『私だってずっと辛い思いをしてきたんだ!今までなんで助けてくれなかった!どうしてこうなる前になんとかしなかったんだ!』
という
誰にもわかってもらえなかった
やり場のない怒りもこみ上げてきました。
兄に殺意さえ感じる時がありました。
あいつさえいなければ
あいつさえこの家からいなくなれば
そしてある日、突然兄は……
生まれてから撮ってきた自分の写真たちを
アルバムから剥ぎ取り
全て破いて捨ててしまいました。
3歳と5歳の私と兄が隣同志
仲良く座ってお菓子を食べている
少しセピアにくすみかけた写真は
兄のところだけが破かれ
あどけなく笑う私だけが
残されていました。
不思議なんですけどね…
私は苦しんでいる兄を見て
ざまーみろ!
いい気味だ!
…と少しも思えず
お腹の中に苦しさが積もって
切なさがだけが残りました。
そして、やがて私の味方であった祖母も
兄の攻撃の対象となり
家に来れなくなりました…。
崩れていくこの家を
私は
どうすることもできずにいたのでした。