取材最終日 | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

取材最終日

今、こっちの時間で夜10時前。

最終日にもいろいろと取材を考えていたが、結局アポ取りが上手くいかず、まあええわという感じで今日は取材ノートをまとめたり、荷物を片付けたり、メールを書いたりして過ごす。

相変わらず寒い寒い部屋で、安ワインを飲んでちょっとでも体を温めつつ、PCに向かって作業。


昼間、気分を変えるために街に出かけ、旧市街や西エルサレムを歩き、カフェに入ったり、明日のエアポートリムジン(シェルート)の予約をしたり。

PCでの作業以外、ほとんど何もせずに1日を過ごす。

いつもはたいてい、取材最後の日にはそれなりの感慨があるけれど、今回は全くそれがない。

帰ってから忙しすぎるせいで仕事がひと段落着いた気がしないためか、それともただ寒すぎるせいか。


取材ノートを整理していると、そのときに感じた気分やその場の光景がくっきりしてくる。

時間を置いてくっきりしてくると、やり足りなかったこと、撮れていない写真や映像が見えてきて、「あちゃ~」という気分になってくる。まあ今さらしょうがない、と思いながら酒を飲みつつ、「でもなあ、ここの写真がないと辛いなあ…」というような想いも。


この取材では、状況がそこにあるのに、何を撮ったらいいのか分からなくなることがあった。

あまりにもひどい破壊、一面掘り起こされ、土のサッカーグランドのようになって写真ならないほどきれいに消えた村…。

自分自身をあまり揺さぶられすぎないように、感情移入しすぎないように気をつけながら、話を聞いて写真を撮ったはずが、思い込みが激しすぎて使えない写真が山ほどある。

揺さぶられすぎたために感情がシャッターを下ろし、「もうええわ」と思って撮らないままにしてしまった場所や人も。

まあ、考えてもしょうがない取りとめのないことを、ぼ~っと考えるでもなく考えつつ、暖房の効いたカフェで暖かさの幸せ感を感じつつ、そこでもワインを飲んでだらける。


今回はなんか、このままガザに何ヶ月も住んでも疲れてこなさそうなくらいの気分なので、日本に帰ることにあんまり感慨が湧かない。

いつも決まって食べたくなる、でも日本では食べたいともほとんど思わない、みたらし団子や王将の餃子、豚の生姜焼き定食なども、今回は不思議と食べたくならない。

いつもは、取材後半には苦痛以外の何ものでもなくなる「英語を喋る」ということも、今回は不思議とあまり苦痛ではない(かといって、全然スラスラ喋れてもいないんだけれど)。


取材中は、写真を撮っていないときでも、車で移動しているときでも常に、見えるものは全部と言っていいほど画角や光線の具合、写りこんでもらいたくないものなどを気にしてしまい、車で移動中でさえ落ち着かない。

見えるもの全部が、頭の中にシュミレーションしたファインダーの構図の中に見えてしまう。

「あ~、明日からしばらく、カメラぶら下げて歩かなくてもええわ~」。

それだけが単純に、一番嬉しい。


こんなことをかつての写真の師匠が聞けば怒り狂うはずだが、写真家的な視線はともかく、何よりもまずは両肩と首が軽いのはとても楽。

「ああ、明日からもう写真撮らんでもええわ~」。

エルサレムのカフェでぼ~っとしつつ、しみじみとそれだけが、唯一の感慨らしい感慨だった。

あとひとつあった。

日本に帰ったら、暖房ガンガン入れた部屋でTシャツで過ごそう。