壁と卵 | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

壁と卵

日本でもいくつか記事になっていて、ガザにいるよりもはるかに詳細が伝わっていると思うが、村上春樹氏のこと。

エルサレム賞の授賞式でのスピーチで、彼は壊れやすいタマゴをパレスチナ人に例え、イスラエルを壁に例えてイスラエルを非難したらしい。


昨夜、ある新聞社の特派員と夕飯をともにしたのだが、彼はその会場に取材に訪れていた。村上春樹氏のスピーチには、会場を訪れた多くの人たちは「キョトン」としていたという。

イスラエル・パレスチナで「壁」と言えば、ここの人たちはみんな分離壁を思い出す。村上春樹氏の言う壁が分離壁のことなのか、それともただの例えとしての壁のことなのかさっぱり分からなかったという。


村上春樹氏の作品は、10代の頃から20歳ちょいぐらいまで、彼のデビュー作から「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」までの作品を全部読んだが、そのあとは「もうええわ」という感じになって読まなくなった。

彼が地下鉄サリン事件の被害者などを追った、「アンダーグラウンド」を書いたときは、彼は自分の内面世界を彷徨するだけのあの時代のナイーブな精神から、「大人」として「抜けた」のではないかと期待して読んだが、読後には後味の悪い苦味みたいなものだけが残った。


彼は「受賞を断るよりも、現地に行って意見を述べる」という趣旨のことを話していたそうだが、彼のメンタリティは「大人」になった今も、唐突に命を落としたり、被害に遭ったりした地下鉄サリン事件被害者たちと向き合ったときも、パレスチナの占領者と被占領者を見つめたときも、結局は何も自分以外の「他者」は彼の目には見えていなかった。

彼は「羊をめぐる冒険」の主人公、「僕」と同じように今も、自分ひとりの観念の中で生き、観念で出た答えを確認するためだけにサリン被害者と会い、エルサレムに来たに過ぎない。

何のリスクも負わず、自身の観念で他者を見る者に、他者を語ることはできないのだ。きっと、彼にとってはエルサレム賞の受賞も、特に嬉しくもないのだろう。そもそも、自分以外の「何か」に、まるで本気で興味が持てないのだから。その感覚はそのまま、イスラエルのユダヤ人たちの根底に流れる思考そのものに見えた。