フレシェット砲弾 | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

フレシェット砲弾

ガザ市南郊にあるアル・モゴラーカ地区は、2005年の夏までガザ地区にあったネクサリーム旧入植地と、以前のブログでも書いた激しい侵攻地点ザイトゥーン地区に隣接する。

旧入植地を解体したあとの広大な空き地はパレスチナ側の武装組織の訓練場所でもあり、またガザ市を南側から包囲するための高所にあたるため、この侵攻でも激しい攻撃にさらされた。

アル・モゴラーカ地区は、ネクサリームにガザ市東側からイスラエル軍が侵攻してくるときのルート上にある。


村は戦車砲による砲撃と、歩兵部隊が仕掛けた爆弾によって建物がことごとく壊されているが、その中でも一軒だけ、崩壊を免れている建物があった。

そこに村人たち29人が集められ、イスラエル兵の監視の下で約1週間拘束されていた。その後、「人道的停戦」の間に国連機関に引き渡され解放されたものの、停戦後に村に戻ると家屋はことごとく破壊されて崩れていた。


その、1軒だけ残った建物の中にはいると、スナイパーが狙撃のために壁の床近くの場所に穴を開け、周囲に土嚢を積み上げるのに遣ったオリーブグリーンの土嚢袋が焼け焦げて残っている。イスラエル兵は停戦が決まり撤退するとき、この建物に火を放って去っていった。

歩兵部隊が撤退したあと、西側(海側)の丘の上から、念入りなことに戦車砲でこの建物を砲撃した。

その砲撃に使われた砲弾が、家の西側外壁に一面張り付いていた。


フレシェット砲弾と呼ばれる、砲弾の中に小さな矢のような形をした釘状の鉄を詰めた、巨大な散弾である。

それは散弾銃と同じように空中で破裂して広がり、4800~5000個のその釘状の鉄を飛散させて敵を征圧する。これを人間が受けると 体はずたずたに引き裂かれ、ぼろぎれのようになってしまう。


ガザ周辺のあちこちを回りこのガザ侵攻を考えると、兵器や戦術の実験のような意味が大きいように思えてならない。対パレスチナ、対ハマス戦というにはあまりにも手抜きで中途半端な戦略。イスラエル国内での政治的な影響を考えての侵攻であったにせよ、戦略的にはあまりにも奇妙だ。

それよりも、この侵攻はさまざまな実験だったと考えるほうが筋が通ることが多い。

過度に使用された白燐弾、携帯の電波を探知して行なったと思われるピンポイント爆撃、フレシェット砲弾のような建物に使ってもあまり意味のない「特殊兵器」を試射して帰っていること。

一方的な制空権もあり、すでに機甲部隊が進入している地点にもかかわらず、ヘリからのロープ降下による特殊部隊の投入という実質的には意味のない部隊投入。


この次に、イスラエルは何を考えているのか。一昨年勝てなかった対レバノン戦で失敗した戦術を再構築するための訓練だったのか、または最近さかんになっているイスラエル退役軍人の海外でのミリタリーアドバイザー商売のためのアピールなのか。イスラエルが今後、どこに向けて、何を仕掛けていこうと考えているのかを検証しなていく必要がある。