ファウジー | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

ファウジー

金曜日はアラブの休日、正午にハマスのモスクの金曜礼拝を撮ったあと、ザイトゥーンで父親と兄、幼い弟を亡くした15歳の少年、ファウジーと待ち合わせ。

車でザイトゥーンに行くと、瓦礫の山の向こうからファウジーが笑顔で出てきた。


侵攻後は学校にも行かず、休日も雨の日も身を寄せている親戚宅がある別の地区から車に乗って、ザイトゥーンにやってきては一日を過ごす。

兄弟や近所の人とも一緒にいず、一人きりで瓦礫の山の隅で遠くに見える畑や空、近くにできた臨時のテント張りの幼稚園の子供たちを眺めて、時間をやり過ごす。


2回目に彼を訪ねたとき、「なんでいつも一人なの?」と聞いたら、「今は誰とも話さずに一人で考えていたいんだよ」と答えていた。そのファウジーを海と、魚を食べさせるレストランに誘った。その約束の日が今日だった。

「ご飯をおごってもらうなんていいよ」という彼に、「日本人は魚好きなんだけど、一人じゃ多すぎて喰えないから」と誘った。

大量の魚と海老を、通訳のサミールと運転手のムハンマドと4人で食べる。

人が多く、ガザでは高価なフィッシュレストランでファウジーが気を遣わないようにと、サミールが友人に頼んで閉店したカフェに知人のコックとウェイターを呼んで、特別に店を開けてくれた、このためだけの臨時レストラン。

多少戸惑いつつも、陽気で面倒見の良いムハンマドと、頼りになる年の離れた兄ちゃんという感じのサミールを通じて、ファウジーもたくさん食べてくれた。


「あれから学校に行ったか?」と聞くと、「学校に行ったら、心配した友達がお父さんや兄弟が死んだことを聞いてくる。まだそのことを話すのが嫌だから行きたくないんだ」と言う。

「勉強しろ。自分の将来を自分で何とかするために勉強して、しっかり英語を覚えるんだぞ」と、サミールが言う。高校を1年で辞め、ハマスに入っていたサミールは英語とヘブライ語を話すが、それはどちらもイスラエルの刑務所で覚えた耳学問で、字はあまり読めない。

「この何もできないガザでは、自分で自分を生かすしかないんだよ」と、サミールはまるで大人に話すように、しかし説教ではなく自分の過去を振り返りながら話す。


食後、釣りが趣味だった彼と亡くなった父親が、いつも釣りに出かけていたビーチへ。

ビーチで彼の父親の友人だという男性に会う。彼もまた、何をするでもなく海を眺めに来ていた。

「このおじさんはおれが魚を釣ったときの証人なんだよ。そのときはたくさんつりの人がいたけど、お父さんが何匹かと、おれが1匹釣った以外は誰も連れなかったんだよ」と、でも少しだけ自慢げに笑う。自分が釣った一匹のことではなく、父親の釣りの腕を誇るように。

「彼の父親は自分もお金がないくせに、いつも近所の人や友達に畑で取れた野菜を配って回るような人だったよ。だからファウジーは、そんな優しいお父さんのことが好きだったんだよ」


ファウジーは砂浜に、パレスチナの地図とエルサレムのアルアクサモスクの絵を描く。

まだ一度も国になったことのない「祖国」パレスチナと、まだ一度も見たことのないエルサレムのアルアクサモスクを。

「なんでアルアクサモスクを描いたんだ?」と問うと、照れたように笑って答えない。ずっと彼の顔を眺め続けていると、困ったように「お父さんがよく描いていたから」と答えた。

字の上手なお人よしのムハンマドがファウジーの絵の上にファレスティーン(パレスチナ)と描き、アルアクサモスクのあたりをもう少し良く知っているサミールが、ディテールを描き足して、絵は完成。


ムハンマドとファウジーが靴を脱いで海に入り、手足と顔を洗う。

冷たい水にブルブルしながら、子供みたいにムハンマドもきゃっきゃ言う。ビデオとカメラを回しながら、おれも足元に波がかぶって膝から下がびしょびしょになる。

海から上がったムハンマドとファウジーは、メッカの方向に向かって砂浜で午後の祈り。背の高いムハンマドの右側に、ちっちゃなファウジーが並んで立ち、海を背にして祈る。

先に祈りを済ませたサミールとおれが、彼らの正面で並んで祈りを眺める。


彼を送って別れるとき、車を降りて歩き出したファウジー「学校行けよ!」とムハンマドが叫ぶ。

「ハラス(もうええって)!あんまり言うな」と叱りつけるサミールをよそに、「明日行ってみるよ」とファウジーは叫び返し、また笑顔で瓦礫の向こうに消えていった。