休日 | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

休日

ガザに入って最初の休日。

金曜日はこちらのアラブの休日で、コーディネーターにも運転手にも休んでもらった。

アパートをシェアしている日本人ジャーナリストも、他の町の友人の家に泊まりに行き、久しぶりに昨夜は誰とも喋らない夜を過ごす。


今回初めて晩飯を作る。

これまでに撮った写真やビデオのチェックをし、取材ノートを整理して、深夜2時ごろに就寝。

正月明けからずっと、原稿を書いたり現地とやり取りしていたりと、ガザにかかわることで毎日1~2時間の睡眠を2、3回ずつに分けてとるような生活だったのと、エルサレムに着いて以降バタバタと取材に入ったので、今日は久しぶりにゆっくり眠ることができた。


12時半頃まで寝て、昨夜作った飯の残りを食べ、古い友人を訪ねる。

ガザに来はじめて以来の友人の家で、彼とその家族と寛いだ時間を過ごす。

モロッコ風クスクスをご馳走になり、3人の彼の甥っ子たちと話す。13~15歳の子供たちだが、英語で授業を受けている彼らはおれよりもずっと上手な英語を、きれいなアクセントで話す。


そのあと、夕方からガザ市北部のジャバリア難民キャンプに友人を訪ねる。

ファタハの幹部だった彼の家には、今も多くのファタハメンバーが集まり、彼を頼ってくる。

西岸の自治政府から見捨てられつつも、それを認めきれないで腐りきったマフムード・アッバース大統領への幻想を捨てきれない。

「ガザのハマス政権はパレスチナを分断しようとしているイスラエルの政策の思う壺なんだ」という彼らの意見は、ある意味で的を得ている。

民主的選挙で選ばれたはずのハマスを認めない自治政府やイスラエル、国際社会への批判、ガザはハマス政権によって治安がよくなり、秩序的な生活が送れるようになったという意見とともに、彼らファタハ支持者の意見も同様に一面を捉えている。


このガザ侵攻は、イスラエル国内でもハマスを叩き潰せなかったという批判が多い。

しかし、イスラエルは最初からハマスを潰すつもりはなかったように思う。ハマスはイスラエルにとって、パレスチナ分断政策を続ける上でなくてはならない存在なのだ。

イスラエルはこの侵攻で、1万人未満(数は今忘れたが)の地上部隊しか送り込まなかった。

しかも、徹底的な破壊を行なったのは、ガザ市の周辺部とラファに限られている。ガザ市内で破壊されたのは、ハマス関連施設と一部のファタハ幹部の家屋、モスク、それとそれらの攻撃に巻き込まれた周辺の家屋や建物だけだ。


イスラエルは当初から、この戦争をただのショーだと考えていた。ひとつはよく言われるように2月10日のイスラエル選挙向け、もうひとつはパレスチナ大統領選挙だった。

この侵攻中のうやむやのうちに、選挙されずに任期が自動延長されたアッバース大統領へのサービス。

それらの“出来試合”のために巻き込まれて死傷し、家や仕事、財産を失ったガザの人々は、それこそ何のためにこのような目に遭わなければならないのか。