むかし、テレビで大手塾のお受験合宿の様子を取材した番組を見て、都会の進学塾ってすごい💦と、自分の経験した中受の世界との違いにカルチャーショックを受けたことがあった。

当時は、そんな受験狂想曲の中に私も身を置くことになろうとは…。
※ちなみに、合宿のある塾はサピではありません。

一歩引いて外から見ると、中受の熱狂は、当時の私が感じたように、異様にも見えるかもしれない。

でも、いざ、そこに身をおいてみると、全然見え方は違っていた。

私たち親子は、最初から決してやる気に満ちていたわけではなく、塾のスバラシイ(?)😁導きのおかげで、いつの間にか、ゆるやかに、でも確実に受験生親子に仕上がっていったのだ。

中受の世界に飛び込んでみてわかったことは、私たちと同じように、最初からみんながみんな熱い受験生というわけではないんだってこと。

やはり中受の熱狂のピークは、塾で学んだことの仕上げ、集大成となる学年である6年生において、なのだということ。

そして、3年間ずーっと熱い受験戦争を戦う自信は親子とも無いけど、一年ちょいなら何とか戦えそう、って親も子も思えてること。


中学受験は親子の受験とよく言われるが、
親が関わらなければ成功しないということではなく(もちろん、場合によってそういう側面があるかもしれないが)、
『親が深く関わることのできる』最後の『受験』なのかもしれないと感じる。

高校受験、大学受験ともなると、意思決定の主体は子供となり、そこに親の意思は中学受験ほどは介在しないのではないかと思うからだ。

※もちろん、全てのケースがそうじゃないと思うけど、子供の意思決定に対して、親が影響力を持つことができる可能性は、一般的に年齢が上がるにつれ、低くなっていくであろうことから、このように思うのです。


そう思うと、たった一年であれば、少々厳しい世界であっても、親子が同じ方を向いて一緒に熱くなることができるなんて幸せだな~、とすら思えること。


目標に向かって親子で作戦会議をし、たくさん会話をして、たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさん喧嘩もして…。
今は、そんな時間を持てていること、悪くないなって思ってる。