我が家の中学受験は、
迷いながら、半信半疑ながら始まった。
 
中学受験させることについて、
「子供がかわいそう」と否定的な考え方をする人もいる。
 
私自身、特にもともとそうは思ってはいなかったけれど、
中学受験が本人のためになるかどうかは、
子ども次第だし、家庭次第、だとは思っていた。
 
中学受験が子供にとって「可哀想なもの」になるなら取り組む意味がない。
でも、わが子にとって、我が家にとってどうなんだろう、
ということについては、答えは簡単には出なかった。
 
学童の延長で足を踏み入れた中学受験塾の世界。
息子のためにならないと判断した場合はやめようと思いながら、
様子見・・・という感覚での通塾が長らく続いた。
 
将来の私や息子が、この選択が正しかったと胸を張って言えるのかと考えると、
正直不安になることもある。
でも、今、そこに向かって進んでいるのは、
少なくとも、この経験が息子のためになると信じているから。信じたいから。
進んでいくからには、子どもが「自分は可哀想」と思うような結果にしてはならないという思いは強く持っている。
 
そして、そうならないために、親ができることを日々考える。
 
今、息子は実に生き生きと勉強している。
勉強が楽しくて楽しくて仕方ない様子ですらある。
私が、もうやめて寝なさいと言ってもなかなかやめない。
受験スイッチ完全にONになっている。
 
周囲の子たちも、割とそうみたい。
そういう、雰囲気作りも今の塾はうまいんだなあ、と感じる。
息子は、塾のクラスも、今まで、下のほうをウロウロしていたから
頑張ったら割とすぐ結果が出る。
それも、本人のモチベーションを上げていると思う。
 
しかし、きっとある程度成績が上がったらきっと苦しくなる時が来るだろうと思う。
頑張っても報われない、って状態。
そうなったとき、今のイケイケな感じで勉強を頑張ることは息子には難しくなるかもしれない。
きっとこの一年、まだまだ一波乱も二波乱もあるのだろう。
でも、もう、様子見で通塾していた1年前とは違う。
壁にぶつかったとき、引き返したり、諦めたりすることは考えていない。
多分それは息子も同じ。
 
私も、息子が乗り越える手助けをしていこうと、思っている。
目標をもって頑張り、たくさんの壁にぶつかり、
いっしょに泣いたり笑ったりしながら、
親子で乗り越える一年にしようって、今思っている。
 
どんな結果だったとしても、一年後の今
よく頑張ったと言って、息子を思いっきり褒めて、
思いっきり抱きしめてやるんだと心に決めてる。
 
我が家にとって、受験のために駆け抜けた時間は
意義のあるものだった、と言えるように親子で頑張る。