フレンドさんのブログにて、「そーいえば...」と思い出したことがあった。
ここ最近「神社」だからとか「寺院だから」とかいう話がたまたま数人の知り合いに話が出ている最中なのだ。
なぜに今、MYタイムリーな話になってんのか分かんないけれどww
ここあさんは神々の信仰は独自です。
仏教の方がいいとか神社の方がいいとか、はたまたキリストの方が良いとか各有名処の"固定宗教"はどーでもいいです。
なんせ.....
神様って、もっと幅広い物から小さな物だと思ってるからw
火風水地の神や精霊だっていると思うし、付喪神やらもいると思う。
もっというと一人一人誰でも持っている守護神だか守護霊だかみたいなものもいると思っている。
当然世界各国の伝承の神話だって意外に有りだと思う。
(神話には「世界創造神」が必ずいるので...)
多宗教の日本で育ったから幅広く「神」を受け入れることができるんだろうなぁ~![]()
ついでに言うと、、、、
ここあさんの幼稚園はキリスト幼稚園だったし。
家柄は普通に仏壇あって拝んでるが、祖母だけがキリストに改心するとか。
家族旅行に観光地の神社仏閣が大好きとか。
まぁ。
宗教固定の概念に欠落する要素たっぷりで伸び伸び育ったここあさんですww
話は最初の話題に戻すけれど。
最近一番MYタイムリーな神仏話題が 「喪中で神社に行けない」 という話題。
「でも、寺院は死を受け入れるから喪中でも行ける」とも言うている。
これ、実は今まで身近では一切聞いたことがなかった話。
確か身内亡くなった時でも家族旅行で神社仏閣観光した気がww
サッパリ考えたこともなかった話題でした。
どうも神に死という穢れで近寄ってはいけないということらしい。
概容はここに出ています↓(とある神社さんのHPより)
喪中最大50日以降であれば、神社参拝は許されるそうですよ![]()
上記HPでは喪中期間と神社参拝の考え方も書かれています。
でもさ。
神社とお寺。
一緒の敷地にあるところ多いじゃん![]()
それってどうなん?
「昔からそういう"しきたり"」って言ってもやっぱり矛盾してるよ。
ここあさん的考えは「神様は生から死までちゃんと見ていらしゃる」というのが自論です。
そうだから「神」なんでしょ?
ここあさん、なんか違うこと言うてるかしら![]()
(^◇^;)
で、、、、
とあるフレンドさんのブログにて、また自論に行きついた。
皆様がいうてる「寺院」が死を受け入れて、「神社」が死を受け入れないという部分。
ということは.......
寺院が「死」で神社が「生」。
だが、この世に「生」があるかぎり必ず「死」もある。
生死はワンセットということで 「生きている"今の自分"はその中間」ということではないか。
神社仏閣のどちらかしか行けないのならば、「生」の前と「死」の後ではないのだろうか![]()
穢れという部分だけで考えるなら、仏教でいう俗物欲も卑しくもあさましい穢れみたいなもんだ。
そこまで穢れを嫌うと言うなら、そんな俗物欲の塊の人間が神社など立ち寄ってはならないことになる。
神話を考えてみよう。
ちゃんと生死の事は書いてあると思われる。
だったら、どの神々も生死をちゃんと受け入れているということではないのか![]()
![]()
つーことは......
神社仏閣どこでも一緒![]()
もっと言えば教会だろうが何だろうが同じだーwwww
(そーいぁ、教会は誕生も葬儀も両方してくれるところだよね)
神様自体に生死の意味は関係ない![]()
そんな自論に行きついて 妙に今のところは自己納得www
ただ、、、、
あくまでも自論だし。
皆々様全員に受け入れられる話でも無さ気だし。
他の方々にはどーでもいい話であるよね![]()
世間の一般論にはまったく流されず、独自な神仰(←あえてこの字)を想像研究するここあさんです![]()
いぁー。
こういう想像論を考えるのは楽しくて好きだわ![]()
だって誰が正しいなんて本来は分かんないんだもの。
案外ここあさんの言ってることがホントは正しいってこともあるかもよーぉ![]()
因みに日本神話、ギリシャ神話、北欧神話は大好きよん![]()
