6月2日…去年のこの日は私の入院の始まりでした。
今年は日曜日ですが、去年は土曜日でした。
入院時には1日1日がとても長い日々を過ごしていましたが、過ぎ去って思い起こすとまだその出来事が数日前のような感覚です。
去年の6月2日の朝5時30分頃、旦那もお休みなのでまだまだゆっくりと眠っておきたい朝でしたが、おトイレに行きたくなり仕方なく起きる事にしました。
トイレは1階にしかなく当時は2階で寝ていました。
階段を降りようとしたところ、酷い急に立ちくらみがおこり階段に座り込むことにしました。
まだ階段を1歩も降りてないのでそこで寝室に戻れば良かったのかもしれませんが、直ぐに治まると思い階段の手すりに手をかけたまま座り込んでしまったのです。
ふと顔をペシペシと叩かれながら名前を呼ぶ旦那の声。
目を開けると私は1回の床に寝ていました。
旦那の話だと階段で大きな音がしたと思ったら私が1階の階段下で倒れていたと........。
めまいで階段上で座ってた後、完全に私は意識がなかったようです。
階段の1番上の段から落ちた感覚すら全然なかったのですから。
意識が戻った時には何で自分が床で寝てたのかすら不思議なくらいでした。
その時は階段から落ちたらしいというショックで気が動転してたのか、足指の骨折すら気付かなかったです。
トイレに行きたいと思って起きたのだからとりあえず、まずトイレが先に済ませようとおトイレの便座に座ったとたん、また目がくらみ始めました。
そして旦那に顔を叩かれ意識が戻る。。。。。。。
何かおかしい、とりあえず病院に行こうか、じゃぁその前に朝食でも、、、、、、、、
今度はダイニングテーブルの椅子に座ったとたん再々度、目の前が真っ暗に。
これはおかしいと旦那が1階まで布団を下ろしてそこにとりあえず寝かされました。
このあたりでようやく足の痛みに気付き骨折してるっぽいなぁと。。。。
私は骨折経験が何度かあり、骨折かどうかは大体分かるんですよね。
旦那もあまりにもの異常事態に救急車を呼び、近くの総合病院まで搬送となりました。
搬送先の病院ではやはり足の指は骨折。しかし深刻なのは異常なまでの貧血の数値。
即そのまま入院となりました。
色々な精密検査が続き、子宮あたりに大きな腫瘍が見つかるという結果に。
ここの総合病院ではこの手術はできないとのことなので、とりあえず貧血がある程度治まるまで入院して自宅に戻る話のはずでした。
入院中に気の動転は治まったようで、その反動か身に起こった痛みが襲ってきました。
足の指の骨折は入院直前に気付いたので分かりきったことでしたが、階段を落ちた時にあちこち打ってたり擦りむいてたりしたところが今頃酷く痛み始めました。
それから5日目の朝、帰ろうかとお話を進めようとした矢先に急に呼吸が変になり息がしにくくなりました。
慌ててエコーなどで再検査の結果、血栓が飛び散っている可能性にたどり着きました。
病院も腫瘍の件もあり、急きょ別病院に連絡を取り今の通っている病院に今度は搬送が決まりました。
病院から病院へと救急搬送。
高速道路もサイレンを鳴らして車をすっ飛ばしての走行。ガタガタ揺れも激しいので車内ベッドで飛び跳ねそうでした。救急ベッド、激しく揺れまくって寝心地悪いです(T_T)
でも病院の先生が救急車に付き添ってくれてますのでそういう面では安心でしたけど。
病院に着いて心療科の先生が担当し、そのままICUで過ごすことに。
血栓は肺だけでなく心臓にも飛んでおり、手術をするかどうかさえ議題に上がっていたそうです。
子宮あたりの大きな腫瘍の件もあり、血栓の方は地道に薬剤で溶かす治療の方向になったようです。
両手に点滴の管、首動脈にも点滴の管、口元には呼吸器というフル装備での生活が始まりました。
その時にはもう眩暈と呼吸困難で起き上がれなくなっていて、寝たきりの日々が続きました。
呼吸が落ち着いたのが10日くらいしてからでしょうか。。。。。
首の点滴の管も外され、手首の点滴も本数が減り酸素吸入の酸素量も減りと良好な方向へと向かって行きました。
体重計も動物を図るようなハンモック体重計ではなく自力で体重計の上に乗ることを促されました。
人間って不思議です。
10日も寝たまま動かないと立てないんですよ。
体が鉛になった、、、、いや私の感覚では地球の重力はこんなに重さを感じるのかと。。。。
ICUも2週間経った頃、呼吸も血栓も安定し、子宮の手術に向けて一般病棟に移されました。
手術は卵巣癌摘出、術中の状態により子宮、リンパ摘出と言った内容。
不安で一杯でしたが、病院内ではまな板の鯉です。
言われるがままに手術準備まで終わり、手術当日になってしまいました。
手術は卵巣子宮共々全摘出という惨い結果で終わりました。
体力的限界ということでリンパ腺は残したままとなり、これか未だに続く不安要素の元になるのです。。。。
手術の傷が良好になった頃から引き続き癌治療の化学療法が始まりました。
これがキツかった!
途中から退院して通いながらの化学療法にさせてもらいましたが、毎週毎週、週3日以上も片道1時間以上かけての通院となりました。
通うのもしんどいですが、やっぱり入院より自宅がいいですよね。
この2月以降は抗がん剤治療も一応終止符を打ち、その後は段々と通院日も少なくなるという今に至ってます。
あれから丸一年。
本当に長い道のりでした。
まだ月1回か2回の通院も続き、抗がん剤治療の副作用でもある脱毛でまだウイッグの御世話になっております。
これからこのまま少しづつ全てが良好になっていけばいいのにと思っています。
今年は日曜日ですが、去年は土曜日でした。
入院時には1日1日がとても長い日々を過ごしていましたが、過ぎ去って思い起こすとまだその出来事が数日前のような感覚です。
去年の6月2日の朝5時30分頃、旦那もお休みなのでまだまだゆっくりと眠っておきたい朝でしたが、おトイレに行きたくなり仕方なく起きる事にしました。
トイレは1階にしかなく当時は2階で寝ていました。
階段を降りようとしたところ、酷い急に立ちくらみがおこり階段に座り込むことにしました。
まだ階段を1歩も降りてないのでそこで寝室に戻れば良かったのかもしれませんが、直ぐに治まると思い階段の手すりに手をかけたまま座り込んでしまったのです。
ふと顔をペシペシと叩かれながら名前を呼ぶ旦那の声。
目を開けると私は1回の床に寝ていました。
旦那の話だと階段で大きな音がしたと思ったら私が1階の階段下で倒れていたと........。
めまいで階段上で座ってた後、完全に私は意識がなかったようです。
階段の1番上の段から落ちた感覚すら全然なかったのですから。
意識が戻った時には何で自分が床で寝てたのかすら不思議なくらいでした。
その時は階段から落ちたらしいというショックで気が動転してたのか、足指の骨折すら気付かなかったです。
トイレに行きたいと思って起きたのだからとりあえず、まずトイレが先に済ませようとおトイレの便座に座ったとたん、また目がくらみ始めました。
そして旦那に顔を叩かれ意識が戻る。。。。。。。
何かおかしい、とりあえず病院に行こうか、じゃぁその前に朝食でも、、、、、、、、
今度はダイニングテーブルの椅子に座ったとたん再々度、目の前が真っ暗に。
これはおかしいと旦那が1階まで布団を下ろしてそこにとりあえず寝かされました。
このあたりでようやく足の痛みに気付き骨折してるっぽいなぁと。。。。
私は骨折経験が何度かあり、骨折かどうかは大体分かるんですよね。
旦那もあまりにもの異常事態に救急車を呼び、近くの総合病院まで搬送となりました。
搬送先の病院ではやはり足の指は骨折。しかし深刻なのは異常なまでの貧血の数値。
即そのまま入院となりました。
色々な精密検査が続き、子宮あたりに大きな腫瘍が見つかるという結果に。
ここの総合病院ではこの手術はできないとのことなので、とりあえず貧血がある程度治まるまで入院して自宅に戻る話のはずでした。
入院中に気の動転は治まったようで、その反動か身に起こった痛みが襲ってきました。
足の指の骨折は入院直前に気付いたので分かりきったことでしたが、階段を落ちた時にあちこち打ってたり擦りむいてたりしたところが今頃酷く痛み始めました。
それから5日目の朝、帰ろうかとお話を進めようとした矢先に急に呼吸が変になり息がしにくくなりました。
慌ててエコーなどで再検査の結果、血栓が飛び散っている可能性にたどり着きました。
病院も腫瘍の件もあり、急きょ別病院に連絡を取り今の通っている病院に今度は搬送が決まりました。
病院から病院へと救急搬送。
高速道路もサイレンを鳴らして車をすっ飛ばしての走行。ガタガタ揺れも激しいので車内ベッドで飛び跳ねそうでした。救急ベッド、激しく揺れまくって寝心地悪いです(T_T)
でも病院の先生が救急車に付き添ってくれてますのでそういう面では安心でしたけど。
病院に着いて心療科の先生が担当し、そのままICUで過ごすことに。
血栓は肺だけでなく心臓にも飛んでおり、手術をするかどうかさえ議題に上がっていたそうです。
子宮あたりの大きな腫瘍の件もあり、血栓の方は地道に薬剤で溶かす治療の方向になったようです。
両手に点滴の管、首動脈にも点滴の管、口元には呼吸器というフル装備での生活が始まりました。
その時にはもう眩暈と呼吸困難で起き上がれなくなっていて、寝たきりの日々が続きました。
呼吸が落ち着いたのが10日くらいしてからでしょうか。。。。。
首の点滴の管も外され、手首の点滴も本数が減り酸素吸入の酸素量も減りと良好な方向へと向かって行きました。
体重計も動物を図るようなハンモック体重計ではなく自力で体重計の上に乗ることを促されました。
人間って不思議です。
10日も寝たまま動かないと立てないんですよ。
体が鉛になった、、、、いや私の感覚では地球の重力はこんなに重さを感じるのかと。。。。
ICUも2週間経った頃、呼吸も血栓も安定し、子宮の手術に向けて一般病棟に移されました。
手術は卵巣癌摘出、術中の状態により子宮、リンパ摘出と言った内容。
不安で一杯でしたが、病院内ではまな板の鯉です。
言われるがままに手術準備まで終わり、手術当日になってしまいました。
手術は卵巣子宮共々全摘出という惨い結果で終わりました。
体力的限界ということでリンパ腺は残したままとなり、これか未だに続く不安要素の元になるのです。。。。
手術の傷が良好になった頃から引き続き癌治療の化学療法が始まりました。
これがキツかった!
途中から退院して通いながらの化学療法にさせてもらいましたが、毎週毎週、週3日以上も片道1時間以上かけての通院となりました。
通うのもしんどいですが、やっぱり入院より自宅がいいですよね。
この2月以降は抗がん剤治療も一応終止符を打ち、その後は段々と通院日も少なくなるという今に至ってます。
あれから丸一年。
本当に長い道のりでした。
まだ月1回か2回の通院も続き、抗がん剤治療の副作用でもある脱毛でまだウイッグの御世話になっております。
これからこのまま少しづつ全てが良好になっていけばいいのにと思っています。
