ここで宮川さんが、高田宏さんという編集者が作っていたエッソ石油のPR誌『エナジー』を取り出し、

「この中の対談で語っていた美しい朝の話をしてほしい。」と。

その話とは、

「小学校4年生のときに近所にニセアカシアの木があって、

その木に日が射していて喜怒哀楽以外の感情で感動したことがあった。

そのことも含む、喜怒哀楽以外の感情が自分の中で詩を支えるひとつのこと。もうひとつは音楽です。」

というもので

「詩を書く大きな源は自然と音楽だ」とはっきりおっしゃっていた。



谷川さんが子どもの世界に入ったのは、

寺島尚考さんと子どもの歌を作ったのがきっかけ。

アカデミックな勉強をしていないのではじめは“子ども”を意識していなかったが、子どもの世界が合っていた、

と振り返った。

その後に河合隼雄さんと出会って、人の意識下に“子ども”がいることに気づいて変わった。

そして気づいたことで、自分の中の子どもに出会いなおせた、という。


そこで宮川さんが

「児童文学研究って不思議。

子ども時代は自分の地層の下のほうにある。

(研究をすることは)子ども時代の地層にボーリングしている感じです。

子どもの本を読むのも同じことをして、出会い直している。」

と話すと、谷川さんが

「私はそれをよく年輪に例えるのですが、年輪の中心に“子ども”時代がある。

人は自分の幼児性を抑圧して大人になり、社会に出る。

 私たちは自分の中の用事と対面できて幸せですね。」

と笑った。


このようにお二人はさまざまな話題で共感しあっていた。

谷川さんは創作の中で、宮川さんは研究のなかで同じ体験をしている。

そのひとつが「ひらがな」について。


谷川さんといえば意識的にひらがなの詩を書かれている印象が強く、そのきっかけをこう話していた。

「絵本をかいている時に社会学的なことを考えました。

子どもに民主主義などの概念を伝えるために、漢語ではなく大和言葉に(言葉をやさしく)言い換えないといけない。

漢語はまだ我々の暮らしに根付いておらず、まだ抽象的。

日本人の体と暮らしと心に根付かせていきたくて、ひらがなで書いてみようと思いました。

そうしたらより音韻性が明らかになり伝えやすくなった(これはことばあそびとは別)。

子ども読者にむけるときは漢語では語りかけられないです。

梅棹忠夫さんや井上やすしさんの文章論がいいですね。」


宮川さんも漢語の壁にあたっていたそうで、

論文を書くときになるべくひらがなにするために訓読漢字をまず開いていた、というエピソードを話した。

でもひらくことは慣れるまでなかなか難しかったそう。