豊臣秀吉によって築城された伏見桃山城。
京都・伏見の桃山地区は南に巨椋(おぐら)池が広がり
水運によって大坂と京都を結ぶ大事な場所でした。
伏見の地は豊臣秀吉によって栄え
治水事業も進んでいった場所です。
伏見城は3度にわたって築城されています。
最初は朝鮮出兵前に築かれた指月山伏見城で
次に秀吉が隠居のために築かれたのが木幡山伏見城。
伏見城の戦いで焼失した跡に
徳川家康によって再建された徳川期とにわけられます。
豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わります。
秀吉の死後
豊臣秀頼が大阪城に移ると
代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いました。
関ヶ原の戦いによって焼失した伏見城は
家康によって再建されますが後に廃城。
建物や部材は
二条城・淀城・福山城などに移築されました。
伏見城の後には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられ
桃山と呼ばれるようになり
桃山城、あるい伏見桃山城と呼ばれるようになりました。
桜が数多く植えられており
地元の人たちの憩いの場となっています。
京都市伏見区桃山町大蔵45