「お葬式なんかはいらないからね」そういう義母の希望で、お葬式は行わないことにしたわけだが、義母の親友が、いわゆるお別れ会的にパーティーを企画してくださった。
会場は親友さんのご自宅を解放。
食べ物は、義母がよく使っていたお気に入りのケータリング。
義母の50歳の誕生日パーティーに呼んだ、デキシーランドジャズバンドが生演奏。
招待状は一応出す(100通発送)けれど、義母を知る人は誰でも来て良しのオープン・パーティー。
そのパーティーの準備ファイルのタイトルを、義父はこう書き込んでいた。
「JAN(義母)'s Final Party」
楽しいパーティーが大好きだった義母の、これが最後のパーティー。
そのパーティーの日がやってきた。
親友さんが中心となって段取りを舵取り。
テントや椅子などは、義両親が経営していた会社が運び込んで設置。
ケータリング業者も、魚介バーは無理と最初断ってきたのも、これが義母のパーティーであると知ると、「そういうことなら」と了承し、シェフ長自らが出向いてオイスターの殻開けに立ってくださると。
そうして親類、友人、ご近所などなど・・・みんなが楽しみにパーティーに「義母の最後のパーティー」に足を運んでくる。


いつもの仲間だったり、ひさしぶりに見る顔だったり、初めて会う方だったり・・・そこここで談笑が始まる。

お別れ会といった悲しい雰囲気ではない。


30分程経った頃、夫が壇上から注目を呼びかけ、いわゆる「弔辞」を読む。
弔辞、といっても、生前のエピソードを面白くまとめたもの。最後は「悲しんでも喜ばれないでしょうから、今日は楽しく過ごして言ってください」と宣言し、明るいデキシーランドの生演奏開始。


息子も飛び入りで、サックスを披露。
知らない人が目にしたら、誰も「お別れ会」とは思わないであろう、楽しいパーティーになっている。


118人が集まった、義母の最後の盛大なパーティーは、そこに義母がいれば、大成功なパーティーに微笑んで満足しているに違いないものになった。


日が暮れて肌寒くなってきた頃には、庭の焚き火を囲んで、まだまだ名残惜しくパーティーは続く。

義父も夫も私も確信した。
上質の飲み物と食べ物がふるまわれ、楽しい生演奏が流れ、笑い声につつまれた会話の花が咲く。
義母の最後のパーティーにふさわしい会になった。
<オマケ>
デキシーランドバンドに飛び入りし、義母にさよならのサックス演奏ができた息子。
彼のサックス好きのルーツは、これだったのかも・・・
2歳のとき、義母と「合奏」する息子。