義母他界 | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

早朝、義母は静かに旅立ってしまいました。


息子は今日大学入学共通試験、SATテスト受験日。
試験会場である学校まで送り届け、帰宅したあと夫から悲しい一報。
今朝、というか夜中、義母の様態が急変し、静かに旅立って逝かれた。
すぐに知らせると、動揺が受験テストに響くと、息子が出かけるのを待って知らせてきたのだった。

夫も私も、覚悟はしてはいたものの、まさかこんなに早いとは思わず。
入院したからとすぐには駆けつけなかった私は、最後のさよならも言えなかった。

4年前に子宮ガンの手術を受けて以降、義母は「人生やりたいことはやってきた。思い残すことはない。」と、身辺整理に着手。
結構大きかった家を売り、手入れの大変さが減る小さめの家に引越し。
夫が実家に残してきたものも「いるものは取りにきて。残りは処分するから」と持ち物も整理。
そして、「葬式とかそういうの、良いから」と、自ら、逝ったあとは医大に献体を決め、書類も見せられて説明された。

献体し残った体も何かの役に立てて欲しい、それはとても義母らしい決断。
説明されたときには、何も意義はなかった。
何もかも計画しきちんとする義母。最後まで自分で計画されるのは彼女らしい。

ただし、ひとつ誤算が・・・

最後の最後、義母は静かに旅立ってしまった。
病院から連絡があって夫と義父が駆けつけたときはすでに。
医師から「ご家族には連絡を」的な示唆がなかったため、息子と私はまだテキサス。
そして、義母はその日のうちに献体へと。
つまり、いわゆるお葬式はしなくて良いという義母の希望のため、テキサスにいた私は、最後のお別れというのができないまま。

というわけで、テキサスに残されたまま、義母とは永遠のさよなら。
あっけないというかあざやかというか、最後まで義母らしくはあったのかもしれない。