
本日のpatchは、オーバーナイター(宿泊キャンプ)patch。
今週は息子の学校の春休み。
11年生の息子には、受験を考慮している大学を見学に出かけるのに良いタイミングでもある。
のだけれど、他にどうしても今週中に片付けなくてはならないモノがあり、そうもいかず。
息子の希望校、どれもオースティンから日帰りとはいかないのだ。
息子なりに進みたい学部をリサーチし、「この教授の元で学びたい」という観点から志望校を選んだら、どれも離れたところだった、というのだが、その話をした際、義母に「子供が遠くに行こうと思えるのは、良い子育てをした証拠よ」と言われた。
まあ、もし息子が近場ばかり選んでいても「子供が近くにいたいのは良い子育てした証拠」と言われていたのではないかとは思う。
が、子供が「離れた大学に巣立っても行こう」と自信を持てるのは、親としては淋しいながら、嬉しくも思うべきなのかもしれない。
小さい頃は、保育園に迎えに行くと、私の顔を見ると「あ、いそげ!いそげ!」と手にしていたおもちゃなどを急いで片付けて駆け寄ってきた。
小学低学年の頃は、スクールバスを降りると走ってきて私に飛びついてきた。
そんな息子が、いつのまにか飛びつくのをやめ、親より友人たちに楽しそうな笑顔を見せるようになっていった。
普通に、あるべき成長の過程を遂げている。
淋しいが、大学は遠くで一人でやっていける、と親離れしていく息子の成長を喜ぶべきなのだ。
そんな事をつくづく感じる今日この頃。
シーツを洗おうと息子の部屋に入って、しばらく息子と話をしていてふと目についた枕(というか、クッション)。
カバーに穴が開きかけていた。
そういえば、この枕、小さい頃息子のお気に入りだったなあ。
野外キャンプに出かけるときも、飛行機で移動する旅も「この枕でないと眠れない」と持参していた。
つまり、かなりな年月使っていることになる。
その枕、生地は確かまだ日本に住んでいる時に買って持っていて、私が縫った物だ。
「これ、いつ作ったんだったかなあ?オースティンに来てからかなあ?」とつぶやくと、息子がきっぱりと答えた。
「カリフォルニアに住んでいた時だよ。覚えているもの、それ作ってくれたときのこと」
えっ・・・
カリフォルニアだとすると、息子が3歳のときだ。
つまり、この枕、13年間使っているのか。
それより、息子が、私がこれを作ったときの事を覚えているというのに驚いた。
もしかして、作ってもらってものすごく嬉しかったのか?
それで愛用してくれていたのか?
昔は「使い心地が良いから」とは言っていたのは覚えている。
でもそれ、中身は手芸屋で買ったクッションネタで高級でもなんでもない。
むしろ、低質と言っていいシロモノだ。
もしかして、もしかして、私の手作りの想い出があって愛用してくれていたのか?
そんな事を、ティーンな息子には問いかけるだけ無駄かもしれない。
そうであっても、そうでなくても、「ちげーよ!」と答えが返ってきそうだ。
まあ、良い。
もしかしたら、この枕を作ってあげたのが、13年経っても記憶に残るほど嬉しかったのかもしれない、と思うだけで、胸キュン。
というか、作ってる場面を覚えていると言われた瞬間、目がウルっときそうだった。

(抱えてる無地の何の変哲もない枕がそれ)
先日、「息子に作ったもので使われているもの」としてベルトを載せた。
訂正。
13年愛用の枕に敵うものは、ない。
あ、大学入学で家を出て行くとき、新バージョンの枕、作って持たせてみようかな。