92 ニューヨーク・シティ・マラソン P | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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グレタ・ワイツさんが他界された

グレタ・ワイツさんはロサンゼルス五輪で銀メダルも獲得しているノルウェーのマラソン・ランナー。
銀メダルを始め多くの記録を持つワイツさんが、私にとって特別なランナーなのは、彼女が、私が最も好きなマラソン大会「ニューヨーク・シティ・マラソン」で、11年間で9回も優勝を遂げているという、NYCマラソンの女王だという事。

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私がニューヨークを始めて走ったのは91年。
当時の世界記録保持者だったノルゥエーのクリスチャンセンが、走る走ると言いながら走ることなく、他の大会でもスタートしても途中棄権が続き、世界記録更新がなされないまま、英国のマッコルガンがこの91年のニューヨークで世界記録をたたき出したという年だ。
グレタ・ワイツさんは既にニューヨーク・マラソンは走られていなかった。

しかし、翌92年、期せずしてグレタさんはニューヨーク・マラソンに戻ってこられた。
この大会の創始者であるフレッド・ルボー氏が60歳を祝して、大会主催者として見守ってきたレースを「最後にもう一度」走られることになり、グレタさんがパートナーとして伴走されることになった。
「最後に」というのは、このときルボー氏は脳腫瘍を患われており、自分が育ててきた大会をもう一度最後に走っておきたいと希望されたのだ。
(2年後、94年のニューヨーク・マラソンの前月、ルボー氏は他界された。)

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(93年3月、ロサンゼルス・マラソンでのルボー氏と私。)

というわけで、私がグレタ・ワイツさんと同じ年にニューヨークの同じコースを走ったのは92年の大会のみ。

その92年、グレタさんにお目にかかり、サインをいただいた。

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グレタさんからの「Best Wishes」のおかげか、レース当日の体調はとても良く、スタート前も早く走りたくてウズウズしていたくらい。

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(92年、私のNYCマラソンのゴール。優勝のテープもないのに、ポーズだけはワイズさんに負けてないバンザイな姿。)

私がニューヨークを走ったのは、91~95年の5回。
96年はエントリーしたものの、息子がお腹にいたので走らなかった。

11年間で9回の優勝。
グレタ・ワイツさんは、永遠に私のニューヨーク・マラソンのヒーローだ。

本日のピンズは、グレタさんと私が同じコースを共に走った92年のニューヨーク・マラソンの記念ピン。

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「グレタさん」でグレタ・ガルボを思い出しているのもなんですが・・・
♪Don't step on Greta Garbo as you walk down the boulevard
BGM「セルロイド・ヒーロー」byザ・キンクス