
そうなのだ。ランニングクラブでチームを組んで24時間マラソンに出場した事がある。96年8月の事。
私はランナーズ主催の24時間マラソン大会は、92、93、94年の3年はボランティアでの参加、96年にチームのマネージャーとして参加している。
92~94年は平塚での開催だったが、会場だった平塚球場が、Jリーグの発足でベルマーレの本拠地になって使用できなくなり、場所を富士山麓に移したと記憶している。
94年のボランティア参加の時、同じランニングクラブのBさんが、チームでなく、独りで24時間走るチャレンジをされた。
何かのチャリティで、Bさんの走行距離に応じて募金を募るというものだった。確か間寛平さんのトレーナーをされていた方が付かれていたと思うが、ウルトラランナーのBさんもさすがにかなりの疲労困憊の表情をされていたのが思い出される。
94年、Bさんを24時間走らせたパワーの源は何だったのか?
96年にランニングクラブでチームを編成して参加した。が、私はこのときも実は「24時間戦っていない」のだ。
ちょうど「マルコー出産プロジェクト」を開始したばかりの時で、ガンガン走るのは控えたかったからだった。本当は走りたかったのだが、マネージャーという名目での参加にとどめた。
マネージャー参加といってもサブマネージャーのようなもので、本マネージャーはMさんだった。
参加Tシャツはランナー達+マネージャー1枚が配られる。本来は私のTシャツはなかったのだが、会場で色違いの青を販売していたので、Mさんに「私が青を買って、交換してくれるか」お願いしたところ快諾していただいた。記念販売の青のシャツは、自分の分も買ったので、私はこの赤と青の両方を持っている。
この赤は特にテキサスに来てから練習でかなり着用した。米国製のTシャツより薄手の日本製のものの方が、暑いテキサスを走るには快適だったからだ。おかげでかなり形崩れして、文字通りTの字で伸びている。
しかし、このTシャツを見ると、あの日のチームのみんながこのシャツを着て走っていた姿が脳裏に蘇り、とても捨てられないでいる。

厳密には24時間戦ってはいない私だが、24時間仲間と過ごせたこの大会は、楽しい大切な思い出のひとつである。
(ところでかりんとん、かりんとんがうどんを食べて帰ってきて自慢してたシーンは記憶にありますが、誘ってくれなかったの?ずる~い!!)