銀色の雨が俺の頬を打つ。
俺はいつ、どこで、選択を間違えたのだろう。君の消えていく後ろ姿を見つめながら思った。尽きる事のないその思いは、俺の瞳から雫となってこの雨に同化して消えていった。
彼女との出会いも
こんな雨が降る夜だった。
俺は息苦しい毎日から抜け出したくてその日、宿泊していたホテルから逃げ出した。日本には何度も来ているから、まさか自分自身が迷子になるなんて想像もしていなかった。
だけど俺はなった。
そう迷子に。
やべぇな。
内心そう感じながらもホテルに戻ろうとか、スタッフの誰かに連絡しようかなんて事は微塵も思わなかった。
そんな時だった。
「大丈夫ですか?」
その優しげな声とともに俺の体を濡らしてた雨は消えた。ゆっくりと声の方に視線を向けると、俺の方に傘を傾けた柔らかい瞳の女が立っていた。
「あ、ダイジョブデス」
俺は半ば反射的に答えていた。
その俺の日本語を聞いて彼女は少し驚いた表情を見せた。恐らく、俺を日本人だと思い声をかけたのだろう。
だが、その表情も一瞬のうちに消えて俺を安心させようとしてるのか暖かな微笑みを浮かべた。
「日本語大丈夫ですか?ごめんなさい、私、日本語しか話せなくて」
彼女は少し恥ずかしそうに笑って見せた。
よく笑う女性だな。と思いながら俺は彼女との会話を続けた。
「ダイジョブデス。日本語、スコシだけど、デキマス」
安心したように目を細める彼女をその時、俺は美しいと思った。
「迷子?ですか?」
「……ハイ」
少し恥ずかしげに、俺が答えると彼女は口元を小さな手で隠しクスクスと笑った。
俺は他人に笑われるのは嫌いだ。それなのに不思議と嫌ではなかった。むしろその笑う姿をかわいいとさえ思った。思えば、この時もうすでに俺は彼女に惹かれていたのかもしれない。
「よければ、送りましょうか?」
彼女の問いに俺は我に返った。
だめだ。
もし、送ってもらってホテルに戻ればバレてしまう。俺がBIGBANGのG-dragonだって事が…彼女の様子から恐らく俺の事は知らないのだろう、だったらそのままでいい。
そして、何よりこの優しく微笑む彼女の事をもっと知りたいと、素直に思った。
俺は彼女に答えた。
「まだ、ホテルには、戻りタクナイデス。…よければ、ゴハン食べたいです。お腹スイタデス」
自分に驚いた。
何を言った?これじゃただのナンパだ。女なんて何人口説いてきたか数えてもいない。結構な確率で、というかほぼ全員口説き落としてきた。それの成果がこれ?
ありえねぇ。
俺は自分のこめかみを押さえて自虐的にクスリと笑った。
「いいですよ?何か食べたいのはありますか?」
俺はこめかみを押さえた手をそのままに彼女を見た。彼女はその柔らかな笑顔を俺に向けて首を少し傾けた。
「え?イイノ?」
またしても何ともマヌケな返しをしてしまった。
「いいですよ?仕事終わりで、私もお腹すいたです。何が食べたいですか?」
帰りたくないが為にとっさに出た嘘。
実際、腹なんて空いてないし何が食べたいかと問われても答えなんて用意してなかった俺は、また、嘘を重ねた。
「えーとぉ……ギュードン!」
勢いよく出たデマカセに俺はまた頭を抱えた。牛丼ってなんだよ、意味わかんねぇよ。なんて考えながら彼女の顔色を伺うと
彼女は、笑って「美味しそう」と答えた。
俺はなんだか急に恥ずかしくなり被っていたキャップのつばを目線が隠れるくらいに下げた。
牛丼屋についてオーダーをして、彼女と他愛もない話をした。俺はこれでもかというくらい彼女に質問の雨を降らせた。
「名前は?」
「仕事はナニシテルノ?」
「トシは?」
彼女は俺の質問の一つ一つに丁寧に答えてくれた。名前はこのみ。歳は俺と同い年で、仕事は飲食店で働いていた。
さらに質問を続けようとした俺に彼女は右手を俺の顔の前にかざして制止した。
「ちょっと、タイムです。今度は私の番ですよ?」
そう言って俺の目の前に差し出していた手をテーブルの上に戻した。
「お名前は?」
「クォン ジヨンです」
「韓国の方ですか?」
「ソウデス」
彼女は「そっか」と言いながら少し考えて口を開いた。
「アニョハセヨー」
俺は思わず口に含んだ牛丼を吹き出した。
「ブフッ」
このみはそんな俺の様子を見て、あれ?間違えたのだろうかと言わんばかりの表情をしている。
いや、あれだけ考えて、結局行き着いたところがアニョハセヨって…
このみは、未だ俺が何でこんなに笑っているのか理解ができてないようすだった。
「ゴメンナサイ、チョットびっくりして…いきなりデ…クク」
「いえ、あのぉ…間違ってました?」
視線をこのみに合わせれば少し恥ずかしそうに俺の顔を覗き込む彼女がいた。
「いえ、アッテマスヨ。楽しいデス、ヒサシブリ、こんなにタクサン笑いマシタ」
本当にこんな風に声を出して笑うなんていつ以来だろう。最近は笑う事すら少なくなっていた。自分が自分じゃないみたいで、ステージでも、プライベートでも求められるのはBIGBANGのリーダーG-dragonで、カリスマ性のある完璧な男。
だったらクォン ジヨンはどこに行ったんだ?クォン ジヨンって誰なんだ?
そんな男は元からいなかったみたいに感じてとにかく何だか息ができなくて苦しかった。
「それは、よかった。楽しんでいただけたのなら」
このみはそう言って笑っていた。
俺はまたそんなこのみにつられて笑った。
ブーブーブーブー
着信を知らせる振動がポケットの中から、俺の太ももに伝わってきた。
俺はその不快な振動を消すべく携帯を手に取り、画面に指を押さえつけようとした。
「出てもいいですよ。どうぞ」
その様子を見ていたこのみに笑顔で促された。彼女と出会ってまだ、数時間しか経っていない。だが、彼女に笑顔を向けられると何故だかNOとは言えなくなる。
彼女の笑顔は魔法だ。
彼女はきっと、魔法使いだ。
そんなくだらない事を考えながらこのみに笑顔を返して通話のボタンをタッチして
携帯を耳に当てた。
「ヨボセヨ」
「あーー‼︎‼︎やっと出た‼︎‼︎ヒョン、何してんだよ!?今、どこ?!何で、いないの!?」
電話に出るとスンリが韓国語で捲し立ててきた。俺も韓国語で答える。
「うるせーよ、耳元で」
「耳元って電話なんだから仕方ないじゃん!」
確かに、となんだか知らないが納得してしまった。
「それよりヒョン!どこなの?いないのがバレたら大変だよ!」
「バレたらって事はまだバレてねぇんだな」
俺は少しスンリをからかう様に答えた。
それを聞いたスンリは声音を一音あげて俺を呼んだ。
「ヒョン‼︎‼︎揚げ足取りしないでよ!マジでヤバいんだから…どこなの…?」
語尾に向かっていく程小さくなっていくスンリの声に多少なりとも申し訳なくなり俺は正直に答えた。
「牛丼屋にいるよ、腹が減ったから飯食ってた、心配しなくてももう帰るよ」
俺の答えに安心したのかスンリは落ち着きを取り戻し、分かったと言って電話を切った。
携帯をズボンのポケットに戻しこのみにゴメンと謝ると、彼女は首を横に振って大丈夫ですと答えた。
「帰らなきゃですか?」
言葉は理解できないにしろ恐らくニュアンス的な事で理解したのだろう。
察しがいい。
俺は眉根をポリポリと掻きながら決まりが悪そうに答えた。
「……うん、ソウデス」
このみはそっかと少し寂しげに笑って見せた。俺はここ数時間、気になっていた事を聞いた。
「どうして今日、一緒にゴハン食ベテクレマシタカ?」
このみは少し考えて「気を悪くしないでくださいね」と前置きして話してくれた。
「……少し、寂しそうに見えました。いつもは知らない人とご飯なんて行きませんよ?…でもただ、ジヨンさんは…うん、寂しそうに見えました。……うーん何か失礼な事言ってごめんなさい‼︎」
やばいって思った。
誰にも気づかれてないって思ってた。
俺の寂しさとか、苦しさとかずっと隠して
G-dragonを演じてきた。だから、まさか出会って数時間のしかも一緒に牛丼を食っただけのこのみに言われるなんて思いもしなかった。俺は何故だかわからないが早鐘のように鳴る鼓動を隠そうと自分の胸を右手で強く抑えた。こんな事してもきっと意味なんて無いってわかってる。
そう。
好きだって思った。
もう自分でもどうしてこんな気持ちになったのか、わからない。
…けど、ずっと予感はしてた。
あの傘を差し出してくれた柔らかい瞳を見たときからずっと予感はしてたんだ。
きっとこれから何かが始まるんだって。
if you 第1話 fin.