こんにちは。千葉です。
時事ネタ、そろそろ書かないといけない事が溜まってしまいました。とても正気とは思えない政権運営が十分には批判されていないと思える現状、なんなんでしょうね?
しかしまず、久しぶりに読んだ本の話を。これも社会派方向なのだけれど…
思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)/郷原 信郎

¥777
Amazon.co.jp
前々からずっと書いていることなのですが。千葉は、民間人の司法参加というものが理解できず、加えて法的な物事に関するテレビ等の報道に触れるたび「罪刑法定主義」「推定無罪」と呪文のように唱えたくなります。なんというか、自分の認識と一般に言われていることとのズレ、けっこう乖離が酷くてときどき不安になるくらいです。割と冗談抜きで。
怪しいよね、ここまで状況が揃っていれば犯人なんじゃないかな。そういう噂話をする分には目くじらをたてなくてもいいでしょう、千葉だってニュースの一報を見てありがちなミステリの様な見たてで「この家の◎×が犯人だな」とか言いますもの、もちろん、冗談で。しかし、昨今では司法の側から「証拠はないけど推認できる」とか、何を根拠にそのような結論を導いたのかわからないケースも少なくありません。権力、暴力を行使できる司法が裁きを下せるのは、相応に事実の確認、証拠があるからじゃないのかな…最近だと結婚詐欺から殺人へと移行した、とされる事件で物証はないけどこの人は独特な人だから、と有罪、極刑に向かっている状況がどうにも。
本書では、元検察の弁護士、大学教授にメディア等でも活躍される郷原信郎氏による、いくつかの事例を元にした「コンプライアンス」の旗の元、思考停止して物事に過剰に反応してしまう現在の日本社会についての考察が展開されています。事例としては「不二家の賞味期限偽装」「伊藤ハムのシアン化合物混入」「耐震偽装問題」「村上ファンド事件」のようなものに加え、「裁判員制度について」「年金記録改竄の実相」も加えて幅広く法的な問題とそれに対する現在の社会のあり方を検討します。事件や問題が少し古く思えるかもしれませんが2009年の出版ですからそこは仕方がない、と捉えるよりも「今では全て終わって過去になったはず、それは果たしてどのように決着しているのか?」という視点から、自身の近過去の記憶を整理できると思いますよ?リーマンショック、そして昨年の地震からこっち見えてきてしまった欺瞞的な社会のあり方について考えさせられる、示唆的な一冊でした。ちなみに、郷原氏は同傾向の本を何冊か出されておりますが、一番コンパクトな本書で普通の人は大丈夫、じゃないかなあ…(食い足りない方はもっと重い本へお進みください)
個人的な話になりますが。いわゆる個人情報保護法が施行されたころ、弁護士の先生に会社の仕事として話を伺いに行ったことや、、暗黙のしかし業務上守られるべきルールとしてきた事ごとをいろいろと内部的に明文化したりした時の事を思い出しました。ある程度の明文化されたルールは示されている、だけれどその運用については意外なほど裁量的と言うか、「常識」に沿った判断が求められるのだな、と思わされたのは一、二度ではすみませぬ。新しい法律であったがゆえに判例などはないわけで、過去の類似した法律の運用からの類推で判断しなければいけないことも少なくない。それでも「コンプライアンス」違反になれば大変な反響を呼んでしまうことは確実ですから、誠心誠意遵法対応させていただきましたわ、その当時は。いやはや。なんというか、裁量で判断できる法律って、なんなんでしょうね?転んでほにゃらら執行妨害でしょっぴいたり、職質でカッターナイフ保有者を捕まえたりすることに、充分な正当性があるとは思えないんだけどなあ…
なんて昔からひっかかり続けていることを思い出したりしたことでした。ここから、千葉の思考は遵法だから問題ない、遵法であるこちらは正義だ、法を守れない者はここから去れ、…などなど昨今の空恐ろしい政治家志願の地方自治体の長や、党内手続きとして正しく進めてきたから問題ない、と真顔で言える政治家へと飛ぶのだけれど、その話はまた別途。ではまた。
時事ネタ、そろそろ書かないといけない事が溜まってしまいました。とても正気とは思えない政権運営が十分には批判されていないと思える現状、なんなんでしょうね?
しかしまず、久しぶりに読んだ本の話を。これも社会派方向なのだけれど…
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前々からずっと書いていることなのですが。千葉は、民間人の司法参加というものが理解できず、加えて法的な物事に関するテレビ等の報道に触れるたび「罪刑法定主義」「推定無罪」と呪文のように唱えたくなります。なんというか、自分の認識と一般に言われていることとのズレ、けっこう乖離が酷くてときどき不安になるくらいです。割と冗談抜きで。
怪しいよね、ここまで状況が揃っていれば犯人なんじゃないかな。そういう噂話をする分には目くじらをたてなくてもいいでしょう、千葉だってニュースの一報を見てありがちなミステリの様な見たてで「この家の◎×が犯人だな」とか言いますもの、もちろん、冗談で。しかし、昨今では司法の側から「証拠はないけど推認できる」とか、何を根拠にそのような結論を導いたのかわからないケースも少なくありません。権力、暴力を行使できる司法が裁きを下せるのは、相応に事実の確認、証拠があるからじゃないのかな…最近だと結婚詐欺から殺人へと移行した、とされる事件で物証はないけどこの人は独特な人だから、と有罪、極刑に向かっている状況がどうにも。
本書では、元検察の弁護士、大学教授にメディア等でも活躍される郷原信郎氏による、いくつかの事例を元にした「コンプライアンス」の旗の元、思考停止して物事に過剰に反応してしまう現在の日本社会についての考察が展開されています。事例としては「不二家の賞味期限偽装」「伊藤ハムのシアン化合物混入」「耐震偽装問題」「村上ファンド事件」のようなものに加え、「裁判員制度について」「年金記録改竄の実相」も加えて幅広く法的な問題とそれに対する現在の社会のあり方を検討します。事件や問題が少し古く思えるかもしれませんが2009年の出版ですからそこは仕方がない、と捉えるよりも「今では全て終わって過去になったはず、それは果たしてどのように決着しているのか?」という視点から、自身の近過去の記憶を整理できると思いますよ?リーマンショック、そして昨年の地震からこっち見えてきてしまった欺瞞的な社会のあり方について考えさせられる、示唆的な一冊でした。ちなみに、郷原氏は同傾向の本を何冊か出されておりますが、一番コンパクトな本書で普通の人は大丈夫、じゃないかなあ…(食い足りない方はもっと重い本へお進みください)
個人的な話になりますが。いわゆる個人情報保護法が施行されたころ、弁護士の先生に会社の仕事として話を伺いに行ったことや、、暗黙のしかし業務上守られるべきルールとしてきた事ごとをいろいろと内部的に明文化したりした時の事を思い出しました。ある程度の明文化されたルールは示されている、だけれどその運用については意外なほど裁量的と言うか、「常識」に沿った判断が求められるのだな、と思わされたのは一、二度ではすみませぬ。新しい法律であったがゆえに判例などはないわけで、過去の類似した法律の運用からの類推で判断しなければいけないことも少なくない。それでも「コンプライアンス」違反になれば大変な反響を呼んでしまうことは確実ですから、誠心誠意遵法対応させていただきましたわ、その当時は。いやはや。なんというか、裁量で判断できる法律って、なんなんでしょうね?転んでほにゃらら執行妨害でしょっぴいたり、職質でカッターナイフ保有者を捕まえたりすることに、充分な正当性があるとは思えないんだけどなあ…
なんて昔からひっかかり続けていることを思い出したりしたことでした。ここから、千葉の思考は遵法だから問題ない、遵法であるこちらは正義だ、法を守れない者はここから去れ、…などなど昨今の空恐ろしい政治家志願の地方自治体の長や、党内手続きとして正しく進めてきたから問題ない、と真顔で言える政治家へと飛ぶのだけれど、その話はまた別途。ではまた。