こんにちは。千葉です。

リビアのニュースを見るにつけ、はてエジプトはシリアは、バーレーンはサウジアラビアはどうなったのだったか、と思ってしまいます。確かに、あの政治的動乱のさなかに東北を中心にあの地震に襲われたのだから、遠い異国の話から興味が離れてしまうのも仕方ない部分はあるだろう、自分も含めて。だけれど、今回あれだけの象徴的な動きがあった中で※、ニュースがそういった部分をフォロウしないのは如何なものでしょう。一国の動乱ではない、あの地域全体の絵の中で考えられるべき事柄だと思うのだけれど…

※アルカイダの幹部についてもそうなのだけれど、生きて捉えた上で法の裁きを受けさせるべきだと思います、こういうニュースを見るたびに。オサマの時もそう思いましたし。(リビアでは生かして捉えても法を超えた人民裁判のようなものになったかもしれないけど)

と、最新のニュースの話題から始めてみました。あのう、ニュースのことがですね、やはり気になるんですよ。今は海外の話からはじめたけれど、やはり国内のことが気になります。

というのも、昨日に続いて言葉の問題なんです、考えてみると最終的に引っかかっているのは。
例えば東京電力の福島第一原発がこれ以上は考えられない酷いトラブルを収束できずにいる現状、事故以前とは違う意味合いの言葉を、かってな新しい定義で普通に使うようになってしまっていること、皆さんどう思いますか?気がつけば暫定基準値は「暫定」抜きで使われている、記憶では制御棒を挿入して核分裂反応を制御下に置くことを冷温停止とか言っていたと思うのだけれど、今では穴の開いた格納容器に水をかけ続けて100度以下に保つことであるかのように使われている。
そして、かつて放射線管理区域と言われていた(今もあるのだけれど)ところは年間1ミリシーベルトの被曝をする可能性のある環境のことだった、それはすなわち安全だとは言い切れないから注意して対応すべき場所のことだったはず。それなのに、いつの間にか暫定のいささか怪しくも感じられる基準値(管理区域ってレヴェルではありませんね)の中でなら安全だ、ということになってきて、だから除染して元の場所で住みましょう、みたいな話になっている。あのう、その理屈が全然わからないんですけど。

もし仮に安全ではないけれど仕方がなく、というような断念が前提になるならその旨発信されなければいけないはずです、その責を負うはずの人達によって。ですがそんなこと、一度でもありましたか?非常時であるのでこのように判断して行動する、ついては必要な注意をお伝えしたい、なんてこと。パニックになったらやだな、だから隠しとこうぜ。その程度のことしか言っていない(こんなファニーな発言はさすがにしてませんけど、そういう意味内容ですよね、あれ)。

よくいう話で、日本の政治家の話を英訳すると、まったく論理的意味内容のない、雰囲気を飾る言葉だけが並んでしまう、なんて言います。ああ、そういえば昨晩ニュースに長々と出ていた人は、両論併記を自分一人でやった挙句に質問に答えないという、しゃべりのテンポ次第ではコントにしかならないようなことをしておりましたわ…
でも、そういう空疎な文言であろうとも、法律は決まってしまうし「一定の理解」なんて意味不明な言葉で不利益はある地域に押し付けられる。そういうパターン、もうやめないとまずいよ、というのが地震から復興へと至るプロセスにおいて露呈していることだと思うんだけど、違うかなぁ…


う~ん、昨日に続いて粗い話になってしまいました、もう少し考えます。
ちょっと昼にチラッと見たBBCのニュースで「バスク分離派が武力闘争の終了を発表した」云々、なんてニュースをやっていたものだから、国内ニュースの視野の狭さについてまず考えてしまって、そしておそらくは「カダフィ死亡」という言い回しで言葉のごまかしが気になってこんな考えになったんだと思います。ちょっと時間切れ&生煮えでごめんなさい…

ではごきげんよう、おやすみなさい。