こんにちは。千葉です。

今のところタイガースとちょうど互角の取っ組み合いなんですね、我がドラゴンズは。それがよくわかる三連戦、それなりに収穫だったかなと思います。
そして。あのう、「ドーピング」ってニュースになっちゃったからしばらくいろいろと言われるのでしょうけれど、「目薬で申請していれば問題なし」「申請期間の切れ目にチームが気づいていなかったので"無許可"使用になってしまった」だけ、とのことです故、ご理解賜れれば幸いです。もちろん、チームは大いに反省すべきだと思います、以後このような不手際のなきように、とファンの一人として思っております。それこそマネジメント、ですよね。お騒がせしてしまって申し訳ないです。



さて、実は昨年も同じお題で書いているので少し気がひけるのですが。今日9/1は、大震災の教訓を学ぶ日でもありますが、1878年生まれのマエストロ、トゥリオ・セラフィンと、1935年生まれの我らが小澤征爾のお誕生日なのです。おめでとうございます、そして多くの演奏にありがとう!(特にスカイハイハハーイさんは意識せずに)

ということで今日はですね、まず小澤の比較的最近の録音を聴きました。

小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ plays マーラー/小澤征爾

¥6,300
Amazon.co.jp

今はこういうまとまった形でリリースされているんですね、今日は第二番の方を聴いております。そのうちに第九番も取り上げると思いますが、小澤のマーラーの到達点は同じ美点と同じ問題点をはらんでいるような感触を受けていますので、書く内容は今回と近いものになりそうな気がします。

というのも、ですね。近年の小澤の演奏を聴くと、その音の純度に驚かされるのです。かつては千葉もあまり飲まない某社ののどごしが売りの麦酒に擬えられたりもした小澤征爾の音楽ですが、彼のアプローチに献身的に取り組むサイトウ・キネン・オーケストラとの澄み切った音は、もはや最高の吟醸酒にでもなぞらえた方が少しはその演奏を聴いての評価になるかなと思われるほどに、美しい音楽として成熟してきているなと思います。上手なオケがいい音を出す、伝統のサウンドを守り続けるオーケストラがその独自の音を昔も今も響かせている、などなどそういう伝統というフィクションに支えられていない彼らだからできる、ラディカルなアプローチ、と評価してもいいのではないかと思えるほどに、そのアプローチは徹底されているように思います。

そう、ほんとうに美しいのだけれど、そこには意味付けや劇的なものが欠けているようにも思われるのが、実に惜しい。マーラーの音楽が内包するドラマや、多くのところで用いられている象徴的な楽器法の「見立て」の意味付けがあまり強調されないことが、美しさの反面で失われてしまっている部分であるように思えるのです。
日本庭園のような、美しい箱庭でもいいのです、しかしそれならそこには過剰なまでの意味が求められるのではないか、美しさには収め切れない何ものかを表現しなければいけないのではないか。この演奏に感じる若干の食い足りなさを自分なりに言葉にするとそんな感じです。運動する形式としての音は美しく響いている、でもそれだけではないのではないか…という、自分以外の人にはまったく届かない危険のある感触だけで疑念を表明して、せっかくのお誕生日を台なしにしてみました(笑)。

先日も書きましたが、マエストロも今日で76歳ですからね、バーンスタインより長く生きているわけですよ(まぁ、バーンスタインの場合は不摂生の王様でしたから比べにくいんですけどね)。その生涯を賭けた実験の結末を見届ける日が来てしまうことは意識しなければならない、しかしそれは先の話であってほしい。一回でも多く、そのたどり着いた境地をかいま見せてほしい、音楽ファンとしてはそんな思いが強い。
でも、それ以上に、今はまずお身体を治されることを千葉は望みます。コンサートやオペラの出番より、そっちを優先していただければ…と、偉大な先達へのお見舞いの言葉をもって、マエストロのお誕生日へのコメントとさせていただきます。

では本日はこれにて。ごきげんよう、おやすみなさい。



Otello-Comp Opera/G. Verdi

¥2,251
Amazon.co.jp

SACDにして、早く!(え、セラフィンの話はそれだけ?)