こんにちは。千葉です。


それではさっそく本日のマーラー、交響曲第三番はこのディスクで聴きました。

Mahler: Symphonies 1-10; Das Lied von der Erde .../Alan Titus
¥6,903
Amazon.co.jp


ガリー・ベルティーニ氏が健在で、ケルン放送響を率いてよく来日していた頃はまだ東北にいました。東京都交響楽団を率いてくれるようになったとき、大いに喜びつつも「いつでも聴ける」ような気がしてしまってどうしても外せない演奏会以外はそれほど熱心に足を運んでいなくて。そのことを大いに後悔した日から、もうすぐ5年が経とうとしています。本当に早いものです…


バーンスタインしか聴いていなかったころに、もしかするとそれ以前から、ベルティーニのマーラーを友人から奨められていた記憶があります。バーンスタインとは違う、しかし非常に説得的で美しい演奏がある、と。しかしながら千葉はけっこう腰が重いので(笑)、バーンスタイン盤を一通り聴いてしばらくするまで、この全集の良さが分からなかったですね、えぇ。

もちろん、バーンスタインからの影響以外にも自分の聴き方ができてからベルティーニもまたお気に入りのマエストロのひとりとなりましたし、この全集の演奏はよく聴きましたし(第八番、大地の歌がお気に入りです。そのうちにまた触れることになるでしょう)、都響との演奏会でも何曲か忘れがたい演奏を聴くことができました。


この第三番は、1998年11月の都響の演奏会で聴いています。会場はサントリーホール、確か昼公演で遅刻寸前に入場したような(笑)。まだ都響のマエストロになったばかりの時期だったせいだと思うのですが、演奏会のさなかにオーケストラを厳しく指導するようなところもあって、けっこう本気で驚き、それと同時に、その厳しさに彼の本気が感じとれて嬉しかった。変ですね、演奏の細部は覚えていなくてもこういうことは忘れません。

ちゃんと実演だからこそわかったこと、というのも覚えてますよ、エェ。具体的には、そうね。
第四楽章のオーボエ、「自然音のように」という書き込みを普通のスラーではなくグリッサンド風に演奏させていたこととか(これは録音でも一緒)。
第五楽章に導入された女声合唱の座らせどころとか。終楽章がはじまってもしばらく、彼女たちは立ったままでいたものだから、音楽はちゃんと聴いているのだけれど少し気にしていたのです。で、彼女たちが着席したのは練習番号7、ホルン四本がfpで咆哮するところだったかと。これをみた瞬間、閃いたことがあったと思うんだけど、なんだったかな…(嘘です、冗談です。ただ、真面目に書くと絶対に長い話になるので今回はパス)


そんな思いでもあるベルティーニのこの曲、久しぶりにケルン放送響との録音を聴いてみた感想は「美しいな、音楽は」というもの。

ケルン放送響との関係も始まったばかりの1985年の録音ということもあって、若干サウンドに濁りがあるのは残念ですが、スタジオ録音ならではの意志的なコントロールの徹底された演奏は、緩急も強弱も見事なコントラスト、流石です。力みのない明るい音色でマエストロの指示をここまで徹底されると、ときに曲以上に美しすぎる部分があるようにも思えてきます。第三楽章でも粗野な感じはないし、ちょっと人工的に過ぎるように思われて、そのあたりがむかし苦手だったのですね、きっと。


実演での記憶はおくとして、この演奏が最高のマーラーの第三番か、と言われればちょっと首肯はできかねる。しかしながら、マエストロが大事にしていた作品を、最高に磨き上げてこのチクルスの初期に取り上げたのだ、ということは伝わってくる(ちなみに、スタートは第六番。都響とも、この二曲は早い時期に演奏していました)。そんな一枚かと。


先ほどの件、一応サラッとだけ書きますが。第三番には、「パルジファル」の影が見え隠れしているのではないか、という思いつきをその時に得て、ずっと転がしているのです。どうもしっくりすっきりまとまらないので困っちゃいますね、あはははは…


ともあれ、今日のマーラー(そんなコーナー名だったのか)はひとまずここまで。なお、勝手ながら「今日のマーラー」は平日のみの掲載とさせていただきます。はじめてみたら意外と大変だったのでご容赦ください(笑)。ではまた。


追記:

このチクルス、第三番ほか一部の作品はキタエンコのショスタコーヴィチと同じスタジオで収録されているんですね。ただのめぐり合わせなんですけど、ちょっとだけ面白く感じました次第。