こんにちは。千葉です。


ちょっと取りとめのない考えを書いておきます。未検証、思いつきのレヴェルですゆえあまり真に受けられませぬよう。


バラク・オバマ合衆国大統領がノーベル平和賞を受賞した、と。ふむふむ。


聴いた瞬間「え?」と驚くくらいには、こういった賞に対してなにか期待する部分があったように思います。人類に多大なメリットをもたらした、長年の功績に対する功労賞、時代を画する業績などなど、明らかにその賞に値する人が選ばれるものだ、位には。もちろん、その「値」にしても功罪のあるものの方が多いでしょうね、それこそノーベルの発明品であるダイナマイトもそうであるように。


合衆国の大統領になってまだ9ヶ月。

変革を求める声に推されて大統領になった彼ではあるけれど、レーガンからブッシュJr.にいたる共和党の時代を一度に変えてしまえるはずもなく。海外ではこれまでの内向き、力づくの外交姿勢からの脱却を印象付けるいくつかのコメントを残しているけれど、かの国の内部ではそれこそ「各論反対」の機運が目立つように見える。

結果として、彼の支持率も高止まりとはいかず、むしろ低落気味と報じられることも少なくない。とはいえ、それって普通のことだよね。ある意味で「ワン・イシュー」選挙をしてしまった合衆国の皆さんが、これからひとつずつの現実解を選びなおしていくプロセスは、間違いなく退屈で凡庸なものだから。決して、集会で熱狂の中で叫ぶキャッチ・コピーのようにはなりえないものだから。


そのプロセスにおいて、いささか苦戦気味に見え、実際に目に見える成果についてはまだ微妙としか評価しようのないオバマ大統領に送られるノーベル平和賞。さすがに佐藤栄作氏に送られた賞を云々言うつもりはないけれど、それほどこの賞そのものについて高く評価する必要もないと思われるけれど、「欧州目線の現時点での"世界史的〟評価」ではあるのだろう、ふむふむ。


そう考えてみるならば、バラク・オバマが大統領であるタイミングでこの賞を与えることに意味がある、と見るのが自然だろう。政権を離れた後の活動によって評価されたアル・ゴアの場合、環境問題に棹差したスポークスマンとして機能はしても、権力という名の実行力において欠ける部分があったのは否めないし。なにより、少なくない世界規模の問題解決には、孤立主義性向のある合衆国を巻き込むことが成功のための最低条件になっているからね、レーガンからブッシュJr.にいたる時代に形成された唯一の超大国志向はなんとかやめてもらいたいところだった。


そこで登場したのが我らがバラク・オバマである、と。言動から見る限りでは、孤立主義や原理主義的ではない、対話可能な人物であるように見える。もちろん、このさき国内の困難を乗り越えるためにいやおうなく妥協や変節(と思われてしまうような判断)をすることもあるだろう。そしてそのような「変化」は、彼らの希望にそぐわないものである。


であれば、今の時点でお墨付きを与えることで、うかつな変節にはプレッシャをかけつつ、現時点で彼が選択するとしている道に対してエールを贈れば良いじゃない!


という、しょっぱい考えから生まれたノーベル平和賞、に見える。


この項以上。ではまた。