こんにちは。千葉です。予想を遥かに超えた長さ&期間になってしまいました私的プロコフィエフ週間、いよいよ今回が本編最終回です。いや本当に長かった・・・


今回紹介するのは交響曲第七番 嬰ハ短調 op.131(1952)。プロコフィエフの波瀾に満ちた生涯の最後を飾る交響曲は、意外にも非常に聴きやすい、美しい音楽となりました、けれども・・・


さて。ムラデリの歌劇「偉大な友情」がきっかけで起きた「形式主義」音楽批判のジダーノフ批判ですが、直接「標的」とされたのはショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ミャスコフスキィ、ハチャトゥリアンです。


例えばショスタコーヴィチは発表するつもりのない作品でのみ本心を明かす一方で、オラトリオ「森の歌」のような体制礼讃作品を発表、交響曲はスターリンが亡くなる1953年まで作曲しませんでした(ということはプロコフィエフの没後まで、でもあるわけですね・・・)。そして発表された交響曲第十番 ホ短調 op.93(1953)はまた物議を醸す(もやしもん、に非ず)わけですが、それはまた別の話。


プロコフィエフは、前回紹介した第六番から後の、生涯最後の五年間にこの批判の対象となりました。それだけでも苦しい晩年と言えるのに、批判以前の1945年に階段から落ちるという事故で損なった健康は回復せず・・・1949年には作曲の時間に、一日30分の時間制限が加えられるほどです、その体調は推して知るべし、というところです。指揮活動も1945年の交響曲第五番の初演が最後となり、政府からは形式主義者扱いを受けて作品の演奏頻度は低下して、前妻リーナは収容所に送られてしまい・・・西側帰りであることは、彼の音楽には大きいプラスでしたが政治的には全くのマイナスだったのですね。


この苦しい晩年にも、彼の作曲活動は続きました、作曲にさえ時間制限を受けていても。作品をあげてみましょう。オラトリオ「平和の守り」、バレエ「石の花」(どちらも1950)、そしてチェロ・ソナタ(1949)にチェロと管弦楽のための交響的協奏曲(1952)が挙げられます(最後二曲については最後に一言だけ触れたいと思います)。そんな作品の一つが、今回紹介する交響曲第七番なのです。いやはや、これだけの逆境にあってなお才能は衰えず、努力は怠らず、です。正直に申し上げて、想像すらできません、この境遇・・・


さて。「青春交響曲」と作曲者が呼んだ最後の交響曲は、意外なほど親密な印象を与える、チャイコフスキィ的とさえ言えそうな美しい音楽。
「形式主義」批判の後、彼の音楽は初期のような「ロシアの天才」の攻撃的な音楽でもなく、アメリカ→ヨーロッパで活躍した時代の多様な音楽でもなく、ソヴィエトの聴衆に受け入れられる作風へと変化した、と言われます。上記の作品の中でも、「平和の守り」を聴けばそれは納得できますね(この作品、歌詞も愛国的だし少年合唱まで動員して感動的です、そう、ショスタコーヴィチの「森の歌」が感動的であるように←ちょっとだけ含みあり)。


そう、この音楽は千葉にはかなり意外な感じでした。未公開のバレエ音楽を転用した、と言われたら信じてしまいます(プロコフィエフにはいわゆるスピン・オフの作品が少なからずありますがこれは違います、念のため)。第二楽章がワルツ、第三楽章はバレエのアダージオを思わせる美しいメロディが奏でられ、と前作までの癖のある作風からは遠く離れて、素朴な印象すら受けます。両端楽章では儚く懐古的な主題が共通して用いられて、ここまで彼の音楽の変遷を追ってきた千葉は万感胸に迫る、というか感慨無量?でした。ソヴィエトでもアメリカでも初演から好評で受け入れられたこの作品、プロコフィエフは何を思ったか・・・と、聴くたび考えてしまいます。


なお、終楽章には静かに微睡みの中に消えていくようなエンディングと、終楽章第一主題を用いたエナジェティックなエンディングと二種類あります。そうですね、千葉は静かに終わる方が好きですね。まずは一眠りしよう、そうすれば違う世界が待っている、そんな後味が素敵です。(追加されたコーダはとても元気なので眠気も吹っ飛ぶことでしょう、交響曲第五番のエンディングのように)


さて、前置きが長くなりました。ゲルギエフ&ロンドン響の演奏は、オーケストラがロンドン響であることで、目映い舞台を映画で見ているような、不思議な明るさが魅力です。そう、実際の舞台ではない、すこし距離を感じるような。う~ん、上手く言語化できませんね、御容赦のほど。この録音では終楽章の二つのヴァージョンを楽しめるのがお買得です。


ロストロポーヴィチ&フランス国立管は作曲者への共感を全編に感じる、とにかく優しい音楽が心に残ります。細かいことを言う気にならないくらい・・・


ちなみに、この晩年に彼の生涯に登場するのがこれまで指揮者として紹介してきました天才チェロ奏者、ロストロポーヴィチです。ロストロポーヴィチの演奏に刺激されて生まれたチェロ・ソナタ ハ長調 op.119(1949)、チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 ホ短調 op.125(1952)はプロコフィエフ晩年の作品の中でも高く評価されていますね。二人の才能が生んだ傑作、デスね。先日のロストロポーヴィチの逝去で、こう云ったこともまた歴史化したような気持ちがいたします。


どちらもきっと決定的と言うには弱い部分もある演奏だ、と認識してはいるのですが、そのこととを書く気になれません。第七番のもつ不思議な美しさが変に壺に入ってしまい、あまり機能しないレヴューになってしまいました。何とぞ、御寛恕いただければ幸いです。



なお、今回で最終回の予定でしたがこの期間にまとめて聴いた他の作品のこと、雑感などによるコーダを後一回ほど書こうかな、と思っています。本当にプロコフィエフばかりを聴いた二週間、自分には実りあるものだったように思います。やっと少しだけ、目鼻がついたかな、と言う程度ではあるのですが(咀嚼力がない自分に呆れ気味)。


いやはや、不勉強と文章の拙さを大いに感じつつ、ひとまずここで〆とさせていただきます。デス。では。


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この全集とも長いお付き合いになりました(笑)。個別の演奏に注文もつけましたが、全集としてのレヴェルは間違いなく最高クラスだと認識しております。そう、今回聴きこんでゲルギエフという指揮者についても思うところがあったり・・・