こんにちは。千葉です。


確かに今日は五月最初の日、メーデーなのですが、モータスポーツ好きにとっては忘れられない日でもあるわけで。


いつもなら、イタリアのイモラ、エンツォ・エ・ディノ・サーキットでサンマリノGPが開催されるころなのです(今年はサーキットの改修を求められ、その作業のために開催されません)。そして今日は、まさにあの事故が起きたその日です。


1994年、最強マシンを求めてウィリアムズ・ルノーに移籍したアイルトン・セナは開幕二戦を終え、二ポールポジションなるもノーポイント。そして「本当の開幕戦」と見られていたヨーロッパ・ラウンド緒戦、サンマリノGPを迎えました。


当時は今ほど情報を集め易くはなく、開幕二戦を見て「シューマッハーがついに来たか」「セナのマシンはセッティングが出てないのか?」と漠然と思っていたものです。それでも、日本で本格的に放送が始まった1987年からF1を見てきた千葉は、シーズン終盤にかけてウィリアムズのマシンの速さで挽回できるだろう、まずはサンマリノからだな、と思い決勝の放送開始を待っていました。


・・・F1の中継が始まる前、FNNのニュースは何の説明もないまま、サーキット上空からの映像を写しました。そこから後のことはあまり覚えていません、その瞬間になにか良くないことが起こったのだ、と直感してしまったので。まさか、今季初勝利、という結果を先に報道するようなことはありえませんものね・・・


ニュースの中でセナのクラッシュを知り、そしてその後の中継ではセナの死が報じられました。そのときの千葉は正直ではなかったのでしょう、三宅アナウンサと今宮さん川井さんが泣いてしまったのを見て「プロなんだからきっちり仕事しようよ」と思ったりしたことを、今でも覚えています。一人でテレビを見ていたのみ、全く無意味な虚勢ですよね、自分。彼らはセナとの交流もあったわけですし。ガキだな、お恥ずかしい限り。「それでもF1は続いていくんです」はあの状況の中で言いうる最高の名言のひとつでは、と思う現在の千葉です。


といいながら、その後は少しレースを見ていなかったのですね、千葉は。恐ろしいことに、そのサンマリノGPの決勝がどんなレースだったのかも全く知らずにいました(そのヴィデオを見たのはほんの7、8年前。と、書いてみて時間がたっていることに驚きます)。今思うと、1997年くらいまではF1をあまり見ていなかったかな・・・セナ亡き後は予想通りにミハエル・シューマッハーの天下が到来してしまい、むしろル・マンとかCARTの方が面白そうに見えたものです。そうそう、日産がR390でのル・マンに参戦を発表したのが1996年、そしてロータスで後ろの方を走っていたアレッサンドロ・ザナルディがアメリカにわたって「アレックス・ザナルディ」として圧倒的な活躍を見せたのが1997年です。


取り留めないですね、例によって。今日、セナの13回目の命日を迎えて思うのは、千葉は間違いなくセナのファンだったな、ということでした。連休中に、在りし日の彼の走りを見ようかな、と思っております。そうですね、1988年の鈴鹿を見たらもう条件反射的に泣いてしまうかも知れません。


最後にちょっと余談を。同世代の男子ならご記憶あるかなと思うのですが、当時絶頂期を迎えていた週間少年ジャンプのロゴがマクラーレン・ホンダのノーズに貼られた、なんてこともありましたよね。昭和シェルのCMで女の子が「セナ様・・・」とか言う謎のCMも今思い出しました。「Racing On」誌にコラムを寄稿されているナイジェル・ルーベックさんは、1994年の鈴鹿で行われたセナへの追悼のことを特別な思い出として何度となく言及されています。


13回目の命日に、と力むほどの文章ではありません、今日はこのあたりで。では。