集英社インターナショナルから先日出版された新書「ウルトラ音楽術」は、冬木透の音楽的生涯を「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた」の著者である青山通との全面協力によって振り返った、"ほとんど自伝"である。
帯(セブン!!)がちゃんとあるうちに、と思ってTwitterで情報を見かけてすぐに仕事場近くの書店で買ったよ、そして読んだよ。

青山氏の筆はとにかくリーダビリティが高くて、前著にいたっては実は小一時間で目が通ってしまい、ちょっと心配になってすぐ読み返したほど(幸い、目が滑ってしまったようなことはなかった。達意の文である)、本書も昼休みに購入してすぐ仕事の合間に読み始め、帰宅の途につく頃にはあとがきの前、冬木透さんの娘さんである岡本舞さんの寄稿部分まで読み進んでしまっていた。お見事。

「ウルトラセブン」はこの3月まで4Kリマスター版が放送されていたから、あらためて視聴してその本気のドラマづくり、映像の作り込み、そして冬木透さんの音楽に感心された方も多いだろうから、多く触れるまでもないかもしれない。だってご覧のとおりお聴きの通りで、本当に凄いんですよ、本作の音楽。
本書では「その音楽を演奏したメンバーがどんな方々だったか」であるとか、「どのようなつもりで作曲/選曲をしたか」などなど、青山通の前著では触れられていない話もあるのでその観点から期待されている方はご自身でお読みください。なにせ第三章はまるまる「ウルトラセブン」なのですから、その視点からも期待していただいていいと思いました。

なお青山氏の前著については、以前別のところに書いたのでそちらを参照ください。…今回イントロで書こうとしたことを書いてましたわ、私。変わらねえなあ…(なお内容としては「ウルトラマンレオ」のくだり)

最後に「ウルトラ」から離れたところで一つ。個人的に感銘を受けたのは、満洲国生まれの冬木さんが語る、帰国に至る経緯であった。「大地の子」を彷彿とさせるほどの厳しい現実、然と受け取りました。冬木透さんがこの厳しい世界を生き延びて、多くの作品を残してくださったことにあらためて感謝を。

最近は大河含めてNHKのドラマをよく見ている。いやまあ、さすがに好みというものがあるので、申し訳ないけれどちゃんと見ていないものもある、それは認める。それでも、「概して上質」だと言い切れる程度にはちゃんと見ていると思う。数を見ていれば、嫌でもその質の高さがわかる、当然ながら。特に映像においては、大変に申し上げにくいのだが、民放の何段も上にある。これは民放に先駆けて機材を4K化してきたことの余録のようにも思えるが、明らかに映像の情報量が多いのだ。きっと技術的検証はそのうち出てくると思っているけれど、明らかに撮り方、撮れ方が違いすぎる。あと以前から伝わるNHKのドラマづくりの伝統とされる、ちゃんとリハをやって必要なだけ別アングル収録をして…などの作り込みはいいものを作れる体制として結実してきている。「スパイの妻」がNHKによって作られて、それを世界が高く評価したのは偶然ではない、だろう。

※撮って出しの"速報"性、ライヴ感みたいなものは薄いけれど、きちんとポストプロダクションをしてくれた作品を見せてもらえるのは本当にありがたい。 ※あちらは8K制作であるし、その仕事に定評のある外部監督作品なので、総合テレビで放送しているような番組以上に映像的なこだわりの強いものになっているが、方向としては同じだと言ってしまっていいだろう、と判断している。もちろん、NHKの志向に有能な監督がうまく合ったというケミストリーもあると思うが。

近年でも「いだてん」は出色の出来だった。ああいう作品を放送前や放送中に、少なくない視聴者が放送前も放送中も、もしかすると今でもオリンピック礼賛だとあまりにも一義的に受け取ってしまったのは、この国のドラマ受容のどうしようもない弱さにさえ思うが、そういう話は俺の仕事ではないな。一つだけ言っておくなら、そんな先入観だけでものを見ていたら何も見えなくなるよ、ということかなあ。詳細に立ち入るだけの手もかけられないので、あえて暴論になるのを恐れず言うならあの作品は「理念としての」オリンピック賛歌、だったのだと思う。その理念に夢を見ることができた時代への讃歌、今はもう存在しない何ものかへの花束。本題じゃないからこのへんで。

他にも一連の”江戸川乱歩、横溝正史を原作通り”にやりきってしまう短編シリーズなどは日本のテレビではなかなかお目にかかれない水準のものだ。原作を理解して自らの表現として送り出せるスタッフの存在には心強さしか感じない。ここには、視聴者側をなめていないからこその作品自体の強度がある。撮って出しレヴェルのドラマではこうはなるまい。

そんな一連のよくできたNHKドラマの中でも、「今ここにある危機とぼくの好感度について」は図抜けて素晴らしく、忘れがたい作品となった。松坂桃李演じる大学の広報に転職した元アナウンサーを主人公に描かれる全5回と短めの作品ながら、役者はみな素晴らしいし映像的にも文句がない。そして現在を見事に切り抜いたテーマを過積載しているにも関わらず見事にこなしていく渡辺あやの脚本の冴えときたら。以下ネタバレもあります(ネタバレしてもつまらなくない作品ですが、見てしまっても苦情は受け付けません)。

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全5回は、大きく見れば三つのお題で構成されている。たとえるなら"元局アナ/大学広報 神崎くん"シリーズの連作中編三編の単行本を読むような感じだろうか。はじめの二話では研究不正とその内部告発への対応を、三話めには連続講座のゲストを巡って起こるネット絡みのトラブルを、そして最後の二話はデング熱を思わせる感染症が大学から流出した蚊に起因したものではないのか…?(しかも大学は大規模イヴェントを控えている大事な時期)というそれぞれに現代的なトラブルに、「広報として」対応する主人公とその周辺を描写する。 こうまとめると社会派の熱血ドラマになってしまいかねないところだけれど、本作はコメディだ。その味付けは主に主人公の造形に起因する。なにせ元アナウンサーの彼は、まったく意味のあることを言わない。どこかの前大臣に負けていないレヴェルで意味のないことしか言わない。現役アナウンサー時代の仕事描写を一つ引けば、せっかくスタジオを離れて被災地のレポートに行ったのに、悲惨な状況を見て「…なんも言えないですねえ…」でコーナーをまとめてしまったりするのだ(まとまってない)。スポーツについての至言なんて忘れようもない(けど無内容だから忘れました)。

ただこの彼の空っぽさは「天然物」ではなくて、自らの最大の長所としての好感度を最重視するがゆえの戦略だ(と、作中で自ら言う。こんなものを戦略と言っていいかどうかはさておいて)。意味あることを言うから対立が生まれる、それは敵を作りかねない行為だから避けられるべきだ…これだけなら(自分側にとって不都合なことを言わない)広報という職業に最適化された戦略にも見えるし、某大臣氏がなんのかんの言われながら人気者でい続けているのだからまあ、この国ではありなんだろうきっと。俺はできないし、やりませんけど。

だがしかし、この「戦略」は危機的状況、非常時にはあまり役に立たない。というか、この手は平時にしか使えない。定形的リリースを量産してその分量で評価されるご時世なら役に立つかもしれない。しかし問題が目の前にあるときにはまったく機能しない。だからこのキャラクターはトラブルを前にしたとき、”道化”として状況に振り回される。振り回されながらも好感度の維持だけを目的に振る舞うのだもの、そりゃ滑稽にもなりますわ。 だがしかし、そんな風刺的虚構内存在を半笑いで見るだけのドラマだったら、私もそこまで高く買うわけがない。わざわざこんな稿を起こしている私にしても第一話は普通にあの大臣風の発言にゲラゲラ笑い、大学の隠蔽体質に「文学部唯野教授」を思い出したり、で(社会風刺的大学あるある連作コントなのかな)と思っていたんですよね。しかしながら、全編を通じて重要な役どころである、鈴木杏演じる研究不正を告発するポスドク役「木嶋みのり」(いちおう主人公の大学時代の”元カノ”だが、当時からモテた主人公には思い出せない程度の関係という、絶妙にひどい設定)が、第一話最終盤に主人公に懐柔されそうになって本心を語る長ゼリフで姿勢を正した。この作品の目配りから逃げられられる人はおそらくいない。誰にとっても、内なる「神崎くん」や大学の人たちを見いだせてしまう、これはそういう作品だ。幸いなことに第一話でそう認識できたので、再放送を活用して録画して、今も見返したりしながら存分に楽しんでいる。

なお、第一話を見ようと思ったのは同日に松坂桃李氏が出演した「土曜スタジオパーク」での作品紹介、そして彼のパーソナリティが面白かったから、である。渡辺あやの作品は「カーネーション」流し見、「上海のストレンジャー」はちゃんと見た、くらいなので放送前から待ち構えていたとまでは言えない(放送があることは知っていたけど)。なお松坂桃李については、戦隊もの視聴から離れて久しい私の場合、「いだてん」の岩ちんが推しです。異論はご自由に。

さて作品を振り返って思うのは、本作で言う「好感度」というのは多くの人が感じたとおり「支持率」のような政治的意味合いはもちろん含意されていただろうが、「ぼくの」好感度としてこのドラマを読み返したとき、最終回で神崎が大学新聞部の部長に対して、何より重視していたはずの若者受けを狙わずに真意を吐露してしまう場面を踏まえて捉え返すなら、この「好感度」はいわゆる「コミュ力」を指していた言葉だったのではないか、と考えている。これまで社会と対峙もしてきていないし、刹那的ながら自分を活かし続けていくことができるから、とコミュ力だけで乗り切ってきたことを神崎くんが自覚させられる物語。その経験を通じて神崎くんが見出す別の道とは、それは未来のある可能性なのかまたしてもその場しのぎなのか。その顛末はぜひご自身で見てほしいし、ここまでの駄文で気になった方には急ぎでNHKオンデマンドって手もありますよ。オンデマンド契約済みで見逃している方は必修科目なので絶対に見てください(押し売り)。

もうすでにこの文章は長いが、この作品の話はいくらでもできそうに思うから仕方ない(居直り)。ここまでもかなり端折ってしまったし、意図的にも下手くそさによっても言い落としをしている。そんなわけで、稿をあらためて一つのテーマを取り上げる。まあ、ここまでですでに脱落者多数だろうけれど(わかってるならさあ)、次の記事ではここまで触れていない音楽の話をする。 ※本稿は、あまりにもこのドラマが面白かったので自分用にメモとして書いたものだったのだけれど、令和3年度(第76回) 文化庁芸術祭 テレビ・ドラマ部門 参加作品として選ばれたことで待望の再放送が総合テレビで行われることを受けて全面的に手直しをして人前に出せる体裁を整えたものです。つまるところあくまでも私的な感想の域を出ていませんが、再放送のお祝いということでお出しするなら今だろう、ということで掲載します。なにより「総合テレビで再放送」ということはほら、NHKプラスでの配信も利用できるということですから、ぜひ。

こんにちは。今日はやはり、この件に触れないと。その前に、まずはリプレイから。
 

 

 


今日はTPP関連法案と働き方改革法案とかいう雑な法律が定められた日として記憶されるべき、です。…ブログ消さなくてよかったな、と思うのはこういう時ですね。おかげで私は五年前にもこのように申しておりました、と胸を張れる。もっとも後者、働き方改革とかいう法制は予想もしていなかったので触れたことはありませんけど。

前者、TPPについての考え方は過去の文章に足すこともあまりないかと思うので、お時間のある方はリンク先で読んでいただければと。ああ、でも「アメリカ抜きの」TPPになったことはさすがに予想していませんでしたね。トランプ政権誕生の3年も前の記事だからそれは仕方ないでしょう(笑)。アメリカとの関係で言えばむしろ二国間協定こそが危険なルートですから、そちらが政策的俎上に乗るような日が来たらきちんと書かないといけないでしょう。そのための調べ物の量などを想像すると今から気が滅入りますが。

そして後者、働き方改革ってののデタラメさはなかなか凄いもので。評するには先程書いたとおり、「雑」としか言えることがないんですよ、あれ。まともな立法事実もなく、法制定のための前提として提案者が出してきたものはほとんどすべてが虚偽や捏造が判明して崩壊している。それでも「今国会の再重要法案」と位置づけたから、政権の支援者である経団連からの長年の要望であるから、いま決めてしまう。批判が多いことくらいは流石に認識している、だから山盛りの附帯決議を誰かの言い訳のためにつけて採決してしまう。毎度おなじみ、数の上では多くの賛成が得られているのだから「手続き上は瑕疵がない」ことだけが法制定の正当性を保証する、安倍晋三第二次政権のやり方ですね。
そこになにかの新しさがあるとするならば、国民民主党という政党がかつての民社党の立ち位置にあることを明示した、ということだけでしょう。あの政党が議席数は多いのにまったく支持が集まらない理由もそのあたりにあるのだと、否応なく理解しました。手続きの正当性を保証するために、「強行採決ではないのだ」と言えるようにするためだけに審議に協力してしまう自称野党、是々非々と称しながら根本的に受け容れ難い何ものかさえ許してしまう、根幹なき政党。”野党がダメ”なのではない、と日頃考える私ではあるけれど、こういう政党には存在意義がない。維新の党とおなじく、自民党になりたいなら頭を下げて入れてもらえばいいのでは?とのみ申し上げておきましょう。

きっと今晩からしばしは蹴球の大会に多くのスペースを割かれてしまい、ほとんどまともな検証が期待できないだろうことを当然のように予想して、今晩は〆ておきましょう。ではまた。