太平洋戦争、終戦のあと、
引き揚げ者達は、故国日本に帰ろうと
朝鮮半島や中国大陸のあちこちを
死にものぐるいで逃げ惑った。

食料はめったに手に入らず、
衣類も家を出た時の、着の身着のまま。
冬になるとすぐにー20度から
30度、時には40度近くにもなる。

体の弱い病人、老人、幼い子供の
順番で毎日、少しずつ死んでいった。

そして、終戦の年の1年で、
たったひと冬の間に、約18万人から
24万人の引き揚げ者たちが
(いまだに、はっきり人数が不明なんだ)
お葬式もお墓も出せないままに
飢えと寒さで死んでいった。

ボクたち一家六人は全員、
凍傷や栄養失調症になりながらも、
運良く帰国できたけどね。

浅草の雷門、仲見世通りの
ちょっと右奥にある、この、
子供をおんぶした母親のお地蔵さんは、
その人達の霊をなぐさめる
お墓の代わり、慰霊碑なんだよ。

いつも誰かが帽子や、
衣類を着せてくれたり、
食べ物をお供えして
くれてるんだ。

今日はお母さんの唇に
そっと、紅がさしてあった。
・・・お正月だからだね。

皆さん、いつも
ありがとうございます。