都電と共に印象が強かった玉電。!(^^)! | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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神奈川県川崎市宮前区宮崎にある田園都市線

宮崎台にある電車とバスの博物館を訪れました。(^^♪

こちらには私が見たかった電車の車両が展示して

あります。昭和44年(1969年)5月11日まで

渋谷と二子玉川(当時二子玉川園)を結んだ

東急玉川線・玉電の車両です。(*'▽')

玉電は当初明治29年(1896年)玉川砂利電気鉄道と

して砂利輸送が主目的でしたが明治40年(1907年)

玉川電気鉄道により渋谷 -から玉川間が開業しました。(*‘∀‘)

大正13年(1924年)3月1日現在の二子玉川から

世田谷区砧まで砧線が開業・大正14年(1925年)には

三軒茶屋 から下高井戸間に下高井戸線(現在の世田谷線)

が開業し・路線の延伸が進みました。

その後玉川電気軌道は昭和13年(1938年)東京横浜電鉄

現在の東京急行電鉄)に合併されました。

渋谷駅から道玄坂上を目指す玉電電車。左手は井の頭線。

右手は東京メトロ銀座線です。

玉電の中でも斬新な形をしたデハ200形車両。

飛行機のように断面が卵型をしていて独特なスタイルから

ペコちゃん・いもむし・タルゴなどの愛称で親しまれました。

しかし戦後高度経済成長期を迎えると国道246号線などの

交通量が増加し・車が軌道内を走行するようになり定時運行

が困難となって行きました。(*´ω`)

車のドライバーから玉電はジャマ電と呼ばれるようになり

明治時代から庶民の足として親しまれた玉電は昭和44年

(1969年)5月11日廃止されました。( ˘ω˘ )

しかし支線であった下高井戸線は世田谷線と名称を変更し

現在も庶民の足として欠かせない存在になっております。(^^♪

都電と共に世田谷線も大好きな・あまきオフィス

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